シンガポール通信ーシンガポール人の気質

シンガポール人の気質と大げさな書き方をしているが、最近私の研究所(IDMI)の若手研究者や学生達と話し合いをした際に私が持った、シンガポール人の気質に関する感想である。

先週、私の研究所でInternational Advisory Panel (IAP)という会合を行った。これは世界の著名な研究者や企業人にIDMIのアドバイザになってもらい、IDMIの運営方法に関し意見をもらおうというものである。

IDMIは境界領域の研究所であり、技術系・理系の研究室に加え社会学認知科学などの文系の研究室もある。また基礎研究と同時に研究成果をいかにして産業につなげるかも重要な仕事なので、これらをうまくバランスさせたアドバイザの選定は結構苦労した。

結果としてアドバイザとしては、研究方面からはMITのProf. William Uricchio、イリノイ大学のProf. Art Kramer、コーネル大学のProf. Geri Gaiの3名、産業界からはオランダ・フィリップスの研究所のDr. Jos van Harren、そしてテクモコーエー社長の松原健二氏の5名になって頂いた。

さて会合を開こうとすると、皆さん超多忙な方々なのでなかなか予定が合わない。第1回目の会合ということでその開催の日程はかなり時間をかけて選定したのであるが、結局直前にどうしても抜けられないという予定が入ってしまい、残念ながら2名の方(Prof. Geri Gayと松原健二氏)が欠席という事になった。

さて具体的な会合であるが、2日間にわたって、研究所の概要説明や各研究室の説明と成果のデモなどを行った。また、実際の現場の声も知ってもらおうという事で、若手の研究者や学生達とアドバイザの先生方とのフリーディスカッションの場も設定した。

さて、会合の最後にアドバイザの先生方から、研究所全体に対する評価や改善すべき点に関するアドバイスなどをもらった。アドバイスの中に、若手の研究者や学生達からの意見・要望として「研究指導者からもらう研究の進め方のアドバイスが詳細で自分の自発性を発揮できる部分が少ない、もっと自由度を与えてほしい」「研究室間のインタラクションが少ないので、もっと活発化する方策をとってほしい」という意見があったため、対応する事が望ましいというアドバイスが披露された。

いずれも私がNTTやATRで研究所の所長をしていたときに聞いた事のあるような意見である。これだけでも、「研究指導者と若手・学生との関係や研究室間の壁の存在は、日本とあまり変わらないじゃないか」という感想をもってしまうのであるが、もっと面白いのはその先である。

私自身はこれまでも個別に何人かの若手研究者や学生達と話して同じような感触は得ていたが、良い機会なのでもっと多くの若手研究者・学生達の話を聞こうという事になった。

そこで彼等と私および副所長の間で意見交換会を持つ事となった。出席したのは全体で100名程度の若手研究者や学生達から任意に選んだ約20名の人たちである。

さて意見交換会の場になると、なんだか出席者が皆緊張気味なのが雰囲気からわかる。この辺りからして欧米の研究所とはかなり違う。

私自身は欧米の研究所に勤務の経験がある訳ではないが、ATRの研究所では客員研究員の過半は外国人の研究者だったので、まあ海外の研究所にいたのと同じような状況を経験したといってもいいだろう。

外国人の研究者の場合であると、彼等は基本的には率直であるから、マネジメントサイドに対する意見は苦情も含めてはっきりと言う。さらに、彼等はこのような意見交換会の場はある意味で自分のアピールの場であると心得ているから、苦情と同時に改善案も堂々と述べ立てて自分のアピールをしたりする。

当然ここでも同じような状況だろうと予想していたのであるが、案に反して違うのである。意見交換会が始まり、経緯を説明して皆の率直な意見を聞きたいと前置きを述べてから意見を聞く事にしたのであるが、驚いた事になかなか意見が出てこない。

仕方がないので個々の人を指名すると、意見は述べるのであるがアドバイザの先生方に率直に述べた意見と違ってなんだか曖昧なのである。

結局のところ最後には、こちらから「アドバイザの先生方からこのようなアドバイスをもらったので何らかの形でこの問題に対応したい、具体的な意見あれば持って来てもらいたい」という締めを述べて会合を終わる事になった。

その後親しい学生と個人的にこの件を話したのであるが、彼の意見は「会合の場では自分の利益が明確でない限り発言しないのがアジア文化、特に今回のような場合は自分の不利になる可能性あるので、皆発言しないのでは」というものであった。

これは日本文化そのものではないか。これまでも日本文化が特殊というわけではなく、アジア文化圏という大きな枠の中では日本文化と他のアジア文化は共通するものが多いのではと思っていたが,今回は図らずもその1つの例に遭遇する事になった。