シンガポール通信ー小沢一郎氏の強制起訴に思う

民主党元代表小沢一郎氏が、政治資金規正法違反事件で強制起訴を受ける事になった。

ネットで見ていても種々の情報が飛び交っているが、全体として眺めていると何か納得の行かないものを感じる。もう既に日本の中では議論されている事なのかもしれないが、あえて私の意見を述べておきたい。

何が納得いかないかというと、現在議論されている事の大半が、彼が代表をしている資金管理団体陸山会」が政治資金の受け入れを正しく記載していなかったという事件に関する、彼の刑事責任のことだけを議論していることである。

果たして彼が実際にそれに関わっていたのか否か、本人が否認しているのに強制起訴に相当するのか否か、刑事事件の決着がつくまで彼の立場はどうなるのか、などのことは、言ってみれば彼が知っていたか知らなかったかのいずれかということであり、本人は否認しているから水掛け論になるのは当然の事であろう。

しかしそれと同等もしくはそれ以上に重要な事は彼が「陸山会」の代表である以上、その団体が行った違法事件の道義的責任を彼が負うべきであるという事である。陸山会資金管理団体である以上、政治資金の受け入れはその団体の中心業務である。中心業務で不正が行われた場合、トップはそれを知っていたか否かに関わらず道義的責任を負うのが当然であろう。

これまでも、組織の中での不正事件に関し組織のトップの責任が問われた事は多い。起きた事件に関しトップが実際に自分は知らなかったと主張した例も多い。しかしながら、そのような場合でも少なくとも「この件について私は知らされていかなった。しかしこのような会社の本業に関わる事柄をトップが知らなかったでは済まされない。これは私の不徳のいたすところであり、その道義的責任は痛感している」という言い訳はしたのではないか。

もちろん、小沢氏自身は自分に道義的責任がないとは言っていない。したがって問題は周囲が小沢氏の道義的責任をどうとらえるかという事であろう。

少なくとも、道義的責任を持った人が一国の首相になるのは望ましくないだろうというのは常識・良識の教えるところだろう。そしてそれが、何よりも民主党の党首の選出のときに起きた事ではないか。種々の調査によると国民の大半が小沢氏を党首として(ということは日本の首相として)好ましくないと答えていた。

これが良識というものであろう。そして民意は良識に沿った回答をしている訳であるし、日本人の間にまだこのような良識が健全であるという事は、喜ばしい事である。

ところが民主党の議員の間での小沢氏の支持数が菅氏の支持数とほぼ同数であったという事はどういう事だろう。彼等の意見を聞いてみるとその大半は「小沢さんは政治力があるから」というものである。これは暗に「道義的責任を持った人でも政治力があれば首相にして問題ない」と言っている事になる.これはとても良識を持った人の発言とは思えない。

その最たるものが、鳩山前首相の小沢氏支持の理由である「お世話になったから」というものである。これは言い換えると、「小沢氏が人の道にはづれたことをしている事は承知している。しかし一宿一飯の恩義にあずかった自分としては小沢氏について行くのが義理というものだ」と言っている訳であり、まさにやくざの義理人情の論理がまかり通る世界である。

正直と言えば正直なのだけれども、あまりにも単純ではあるまいか。沖縄の基地問題の時に、沖縄のきれいな海を見て「このきれいな海を汚すわけにはいかない、最低でも基地の県外移設を実現する」と鳩山氏が発言したのを思い出して「また同じことを言っている」と思った人も多いだろう。鳩山氏の発言に比較すれば管首相の「しばらくはおとなしくしておいて頂きたい」というのはいわばまっとうな発言である。

もちろん一国の経済が危機に瀕しているような際には、道義的責任も二の次かもしれない。もし小沢氏にそのような認識があるのなら、そう発言すべきだったのではないか。

「政治資金問題で私に道義的に責任がある事は痛感している。本来はそのような人間が一国の首相になるべきではない。しかしながら今日本は未曾有の経済的危機に瀕している。この危機を救えるのは私しかいない。道義的責任は痛感しているが、日本の再生のための捨て石となって働きたい。日本経済が再生の道を歩み始めた時には潔くそのポストを次の人に譲ると共に議員も辞職したい」とでも言っておけば民意をつかめた可能性はある。

かっての小泉首相衆議院解散をした時もそのような状況だったのではないか。自民党の議員はもとよりマスコミも、小泉時代は終わったとはやしたてた。しかし「郵政民営化」を旗印にして小泉氏は民衆の心をつかみ選挙では大勝したのである。

どうして小沢氏は民意を味方につけるという手法をとらないのだろう。小沢氏もかっての自民党がそうだったように、党内の派閥の力関係がすべてであると思っているのだろうか。もしそうだとしたら、それは既に彼の考え方が時代に遅れているという事を示しているのではあるまいか。

代表選出問題は片付いたが、現在は小沢氏の強制起訴の問題が生じたため、議論が再熱している。ここでも代表選出の場合と同様、刑事責任の有無が議論されるだけであり、道義責任を小沢氏がどう取るべきかという議論がされていないのは残念である。世論調査によると半数以上が「離党すべきである」「議員辞職すべきである」と答えており、民意は健全である。それに対して管政権が沈黙を守っているのはいかにも奇妙に見える。