シンガポール通信ー「脳はいかにして神を見るか」2

変成意識状態とはどのような状態か。著者は超抑制状態と超興奮状態の2つの状態があると説明している。

超抑制状態:瞑想に没頭している状態では、自律神経の抑制系が心や体の動きを抑制する方向に働く。しかしながら、抑制系の働きが極端に強まると、脳が異常事態と判断して自律神経の興奮系を活性化する。その結果として、瞑想している人は心の平安と共にエネルギーの高まりを感じ、その結果としての至福感や周囲との一体感を感じる。

超興奮状態:いわゆるトランス状態。長時間にわたる儀式やダンスなどにより興奮系の働きが極度に強まると、同様に脳が異常事態と判断して自律神経の抑制系を活性化する。その結果として、体は極度に興奮し動作しているのに心は平静を保っているという状態に達する。

筆者はこのような変成意識状態がなぜ生じるか、いいかえると、自律神経の抑制系の働きが極度に強まった時なぜ興奮系の活動が活性化されるか、もしくは興奮系の働きが極度に強まった時なぜ抑制系の活動が活性化されるかという脳のメカニズムについては説明していない。

しかしともかくこのような状態では、脳の各部分への情報入力の遮断が生じる。そして方向定位連合野への情報入力遮断の結果として、人が自分自身と外界との区別をする事が困難になる、いいかえると自分と他の人や外界とが一体となった状態を感じるのであると説明している。

また、著者はこの変成意識状態の存在と脳の他の機能があいまって、神話の創造や神の概念の生成につながっているのではと推察している。脳の重要な機能を著者は認知オペレーターと呼んでいるが、以下のような認知オペレーターが神話や神の創造に重要な働きをしている。

因果オペレーター:生じた出来事の理由・原因を探し出そうとする働き。

情緒的価値判断オペレーター:外界の出来事を判断する際に、論理だけではなくそれに感情的な理由付けを与える。

例えば仲間の一人が死んだ時、彼がどこに行ったのかという強い疑問を持って瞑想し一種の変成意識状態に達した時、たき火から立ち上る煙を見て「死者の魂は天に昇る」という考え方、いいかえれば天国や来世の概念が生まれたのではないかと推察している。

また、オオカミの群れを追って狩りをしている時、オオカミの群れのリーダーの統率力によりなかなか狩りが成功しない時など、眠りにつこうとして飢えと狩りを成功したいという強い欲求にかられて一種の変成意識状態に達したときに、オオカミの群れのリーダーのイメージが狩人の心に焼き付き、ある種の神の概念のようなものが生まれたのではと推察している。

それでは、神話や神の概念の創造が人間の進化の上でどのような意味を持っているだろうか。これに対しても著者は、そのような概念がグループの人々の間の結びつきを強めたり、個々人の生きる意志を強めたりする効果を持っており、その結果として人類の生存の確率を強めたからであると説明している。

なるほど、なかなか説得力のある説明である。この説明をベースとして再度本を読み返してみると、著者が実験的に得たデータというのは、最初に述べた瞑想時の脳の活動を測定し、深い瞑想時には方向定位連合野の活動が弱まるという実験だけのように見受けられる。そしてそれ以外は主として他の研究者の研究結果を調査し、それをつなぎ合わせることによって全体としての結論に至っているように見受けられる。

脳科学は極めて広い研究領域であり、1グループでカバーできる範囲は限られているだろう。したがって、実験を行うと同時に他の研究成果を調査する事により全体としての脳の活動を理解しようとする、著者のような研究態度が望ましいものなのであろう。

さて最後に、変成意識状態が生じるメカニズムがなぜ脳に用意されているのだろうという疑問を考えてみよう。著者は直接この疑問に答えている訳ではない。しかしこの本の論理展開に触発されて考えてみると、以下のような説明がつけられるのではないだろうか。

つまりそれは当初は単なる危険防止のためのストッパーとしての役割をしていたのではないかという仮定である。

狩りなどをしているときに自律神経の興奮系の働きが過剰に強まると、敵を倒す事その事が最終目標となって自分の命を失う危険性をおかす可能性がある。そのような興奮系の働きが過剰な状態になると、脳が自分自身の生存を優先するため興奮系にブレーキをかけるために、抑制系を活性化するのではないだろうか。それによって人はハッと我に帰り、敵が強すぎる場合などは撤退するなどの手段によって、自分の生存を確保するのではないか。

また、深く考えるなどの抑制系の働きがあまりにも強すぎると周囲の状況に注意を払わなくなる。常に敵の存在などの周囲の状況注意を払い自己の生存を最大の目標とする事が大切である。したがって、抑制系の働きが過剰になると興奮系を活性化する事により、自分の周囲に注意を払い自分の生存を確保しようとしているのではないか。

つまり、当初は変成意識状態という状態の生成が目的ではなく、興奮系や抑制系の過度の働きを抑えるストッパーとしての機能を脳が用意していたものであろう。ところが、進化の過程でその機能がたまたま変成意識状態を生じさせたのだろう。そしてそれが神話や神の概念の創出につながり、それが人類の生存をあげてくれる事から、変成意識状態がおこるメカニズムが脳の機能として定着したのではないだろうか。

そのように考えると、進化というのはなかなか優れたメカニズムであると同時に、人間の進化の過程で生じた変化・機能は、必然というより偶然の産物であるものも多いのではという気もしてくる。宗教や神の概念が生まれて来たのを偶然の過程というと怒られそうであるが、そのような観点から人間の歴史・文化を見てみる事も必要であろう。