シンガポール通信ー「脳はいかにして神を見るか」

瞑想中に神が自分のもとを訪れて神と対話したとか、瞑想していると自分が宇宙と一体になった感覚を感じたなどの話、いわゆる神秘的合一体験は宗教の世界では良く聞くところである。

しかしながら通常は、科学の観点からは、このような現象は錯覚などの言葉で片付けられる事が多いのではないだろうか。この本では、脳科学者の観点からこのような現象の背後にある脳の活動を探求した経緯が述べてある。

この本の筆者は脳科学者である。被験者の血流に注入された放射性医薬品が発する放射線を測定する事により、脳の活動状態を測定するSPECTという装置を用いることにより、瞑想中の被験者の脳の状態を測定する事により、瞑想時の脳の活動を研究している。

研究の結果そのものは極めてシンプルでわかりやすい。脳の上部の後方領域に方向定位連合野と呼ばれる領域がある。この連合野の仕事は、外部から感覚器官を通して入ってくる大量の情報を使って、物理的空間の中で自分自身の位置付けをする事である。

つまり、常に自分の位置・姿勢などを明確にする事によって、自分自身とそれ以外の外部の環境とを明確に分離し、自分と外部の環境との関係を明確にする事がこの領域の仕事なのである。つまりそれは過酷な気候・風土や敵となる生物などに囲まれた環境の中で、人間が生き延びるために必要な機能なのである。

筆者は、深い瞑想時の人の脳の活動を測定した時に、この方向定位連合野の活動が極端に低下するという事を見いだした。これはどういう事を意味しているだろう。筆者はここで一つの仮定を提出している。

それは、深い瞑想時などの感覚器官を通して外部からの情報入力が極端に低下した場合、脳が異常事態と判断して、この方向定位連合野への情報入力を遮断するのではないだろうかという仮定である。

そうすると何が起きるか。感覚器官からの情報入力がないと、方向定位連合野は自己と外部との境界を見つけられなくなる。その結果として、「自己と外界との区別は存在しない」という出力を出す。

その結果として、脳の全体判断機能は、自己が無限でありすべての人やすべてのものと密接につながっていると判断するというのである。それが、自己が宇宙と一体になったり神と対面したりと言う神秘的体験を生んでいるのだろうと著者は仮定している。

この説明自身は、極めてシンプルでわかりやすい。問題は、瞑想時になぜそのような状態が生じるかという脳のメカニズムと、そのメカニズムが人類の進化の過程でどのようにして生まれたかという事である。

この本は最初のイントロダクションのところで神秘体験が生じる種明かしをしておいて、あとはそれが生じるメカニズムを脳の構造を説明しながら明らかにして行くという構成になっている。それを簡単に要約すると以下のようになる。

人間の自律神経系は「興奮系」と「抑制系」という2つの神経系から構成されている。興奮系が活動する時は敵と戦う場合など人間の活動を活発にする必要がある場合である。逆に抑制系は、眠る場合などの体を休ませエネルギーを蓄える状態を準備する。人間の日々の活動はこの興奮系と抑制系のバランスの上に成り立っている。

瞑想というのは抑制系が働いている場合であると考えられる。ところが瞑想が深まりピークに達すると脳は異常事態が生じていると判断して、同時に興奮系の活動を活性化させる。この両者が同時に働いている状態は「変成意識状態」と呼ばれる。

変成意識状態では、異常事に対応するため脳は種々の異常事対応の処理を行う。方向定位連合野への情報入力の遮断はその異常事対応の1つの処理だろうと著者は言う。

この説明そのものも説明としてはわかりやすい。ともかく変成意識状態という特殊な状態が生じうるというその事が、大変興味深いし、そのような状態においては人間が神秘体験をするというのも十分納得できる。

しかし同時に疑問が生じる。それは、なぜこのような変成意識状態が生じるメカニズムが人間の脳に埋め込まれているのだろうということである。人類の長い進化の歴史の中で、その最大命題は「いかにして行きのびて子孫を増やすか」という事だったと考えられる。変成意識状態はこの命題を遂行するのに有利なのだろうか。

(続く)