シンガポール通信ーインセプション

レオナルド・ディカプリオ主演、渡辺謙助演のSF映画インセプションを最近見たので、その報告。(ストーリーが説明してあるので、これから映画を見ようという人は、鑑賞した後に読んでもらった方がいいかもしれない.)

ストーリーの骨格自身は極めて単純である、渡辺謙演じる実業家サイトーがライバル企業を解体させて蹴落とすため、ライバル会社の次期社長に自分の会社を分割するというアイディアを吹き込もうと考える。そして、他人の夢の中に入り込む事を仕事としているディカプリオ演じるコブとその仲間がそれを実行するというのがストーリーである。

「インセプト」は食べ物などを取り込むという意味なので、この映画では考えなどを植え込まれる事を意味しているのだろう。本当は植え込まれるのであるが、自らそれを考え出したように仕込む必要があるので、「取り込む」という意味のインセプトをタイトルに使っているのだと解釈できる。なかなかうまいタイトルである。

と同時に、この映画のストーリーのミソはまさにその点にある。ディカプリオ達は、他人の夢の中に入りその人が考えているアイディアなどを盗む事を仕事としているのであるが、逆にある考えをあたかもその人が自分で考え出したかのように植え込む事にチャレンジする訳である。

ある考えをあたかも自分で考えだしたかのように植え込むには、かなり深層心理に入り込んでそのアイディアを相手に伝える必要がある。そこで夢の世界とそこでの出来事の順序を周到に計画すると共に、相手の深層心理に到達するために夢の中でさらに夢を見るという、夢を見るプロセスが何重にも入れ子になっている構成をとっている。

同時に、相手企業の次期社長ロバートが、父親でありその会社を大企業に育て上げた現社長に頭が上がらない状況を利用する。つまりロバートが深層心理では父親から独立したい、もしくは父親を裏切りたいと思っているであろう事を利用して、自分のアイデアとして会社を分割するという考えを持たせようという訳である。

これだけでも結構複雑なのであるが、さらにストーリーに複雑さを加えるためか、ロブ自身と彼の妻モルが夢の中の世界にかって入り浸りになり、モルが現実の世界より夢の世界にとどまる事を望み自ら死を選んだという過去が、コブの深層心理の中にトラウマとなって根付いているという状況設定になっている。

このトラウマが、コブが仲間達と仕事を遂行しようとしているときに妨害となって現れる。それはコブの仕事の遂行を邪魔しコブが現実世界に戻るのを押しとどめようとする力であり、夢の中ではロブ達の仕事を邪魔したり行方を遮る障害となったりする。

さらにはロバートも、大会社の次期社長としてありがちであるが、誘拐されて考えを盗まれる事を予想して、あらかじめ催眠療法などにより考えを盗まれないような対処策を深層心理に埋め込まれている。これはロブ達の仕事を妨害する敵として夢の中では現れる。

このような状況の中で、ロブ達が仕事を遂行して行く過程が映画では描かれているのであるが、その過程そのものの大半は、ハリウッド映画らしくロブ達と敵との戦いとなって描かれている。

という訳で、基本的なストーリー自身は単純であるにせよ、実際のストーリーとしては、夢の中でさらに夢を見てどんどん深い深層心理に入って行く状況を、同時進行的に複数のストーリーが進行して行く過程として表現している。スクリーン上での実際のストーリーの構成とその進行はけっこう複雑である。

最近の極めて単純なアクション仕立てのハリウッドストーリーを見慣れている観客に取っては、少々複雑すぎるかもしれない。私自身も、ストーリー構成の複雑さは楽しめたのであるが、いわゆる登場人物に感情移入するという意味での楽しみ方をすることがあまりできなかった。

複雑な構成にするのは、どうもディカプリオの好みなのかもしれない。これがタイタニックで大成功をおさめながら、その後彼が役者として今ひとつ脱皮しきれていない原因なのかもしれない、などと映画を見ながら考えてしまった。しかし最後はめでたしめでたしのハッピーエンドで終わる映画なので、十分楽しめる事は出来る映画である。

ところで映画を見る際にいつも思うのであるが、映画が終わってタイトルバックが流れる間、ほとんどの人が退出しようとしないでタイトルバックを眺めている習慣はいつからはじまったのだろうか。

かっては、映画が終わると当時に照明が点き、タイトルバックが流れていても観客は出ていったものであるが、いまではタイトルバックが終わるまで照明は暗いままである。観客の多くは若者であるが、彼等は映画の余韻に浸っているのであろうか。その割には出てくるなり「なんだ評判の割につまらなかった」などと大声で批評し合っている若者が多いのだが。


インセプションの一場面