シンガポール通信ー東洋思想と西洋思想3

いろいろと勝手な事を述べていると、一体何が言いたいのかわからなくなってくる危険性もあるので、このあたりで無理やりに結論に持って行こう。

つまりこういうことではないだろうか。西洋二元論とは、物事を二つの要素にわけてそれぞれが相対する(もしくは相反する)働きを持っていると考える事により、それぞれの働きを明確にしようとする考え方である。しかしながら、その先にはそれら二つを融合しようとする一元的な考え方を秘めていると思われる。

一方、東洋思想は人間の体と心、人間と自然を一体として考えようとする一元論的考え方を基本としている。しかしながらその底にあるのは、本来それらが異なるものである事を知っており、それらの融合が困難であるという事を明確に表現されていないにせよ感じ取っているという事実があるのではないか。そして、それらの本来異なるものをいかにして一体化するかという部分にこそ、東洋思想の考えの重点を置いて来たのではないだろうか。

そのように考えると実は西洋思想と東洋思想は物事の本質をいずれの面から見るかという見方の相違に帰着できるのではないだろうか。

しかし、実はそこにこそ大きな問題があるのかもしれない。先にも述べたように、よって立つ立場というのは人の考え方に大きく影響する。一握りの人は、その立場を超え別の立場がある事、それと自分の立場の関係を知りさらに高い立場に行くことができるだろう。しかし大半の人は自分の立場にとどまり、異なる立場を関係ないものそして時には敵としてみてしまうものである。

そしてもっと悪いのは、その二つの立場の存在を知りそれらが物事の両面である事を知る能力を持ちながら、単にその表面的な理解にとどまり「なんだ、結局同じじゃないか」などと言う人がいわゆる知識層に多い事である。(私もそのような人たちの一人なのかもしれないが。)

二つの異なる見方・考え方を止揚するというのは言葉で言うほど簡単な事ではない。東洋思想と西洋思想のブリッジは私もなんとかやりたいと思っていることであり、また重要な事なのである。

しかしそのためには、まずはやはりそれぞれの思想の基本的な考え方の理解が必要ではないだろうか。その上で、例えば西洋思想に東洋思想をどうミックスして行けるのかを考える必要がある。

その際重要なのは、単に西洋思想の欠点をあげる事ではなくて、その利点を十分理解するとともに、東洋思想をそれにミックスする事がどのような西洋思想の新しい方向性を生むのかを示してやる事ではないだろうか。

それが魅力的な仕事である事は私自身も認めるし、自分でもそれを実現したいとは思っている。ただ、同時に極めて困難な仕事である事も知っておく必要がある。なぜなら、大半の人は東洋思想と西洋思想は全く別のものであると思っている。そして他方を勉強する事は違う宗教に鞍替えする事のように感じている人が多い事も事実である。

そして何よりも人間は感情的な動物である。ところが西欧の人たちは(特に知識層は)理性の感情に対する優位性を心に刷り込まれているため、自分が感情的である事を認めようとしないことが多い。これを知った上で、人々に訴えて行く必要があるのではないだろうか。