シンガポール通信ー自意識について

このところ少し哲学づいており、少々小難しい話題が続くがお許し願いたい。今日は少し意識について考えてみよう。

意識とは何か、どのようにして生まれるのかというのは、西欧の哲学の長い間の論争の種であり,現在もそうであり続けている。さらに現在は、計算機科学・情報科学などの科学技術の分野でも、意識の問題が大きな問題として取り上げられるようになった。

意識とは、私たちが外界の出来事を感知したり、自分自身で物事を考えたりする場合に自分自身の事柄として認識する感覚である。特に自分自身の意識についていうときは「自意識」ともいう。

私自身、中学から高校にかけてこの自意識にずいぶん悩まされた。それはまず、自分自身の意識がなぜ存在しているのかという疑問である。「私はなぜ存在しているのか、なぜ私の意識があるのか、他の人も意識を持っているようであるが、なぜ私の意識は他の人の意識ではなくて私自身のものとして存在しているのか」という疑問が浮かんで来て、考えれば考えるほどわからなくなって来たものである。

さらには、「私の身体は私の意識と密接に結びついているようである、私の意識は私の身体の行動を制御できる、しかしなぜ私の意識は私の身体と結びついているのか、意識だけがなぜ単独で存在できないのか」等の考えも浮かんで来て悩まされたものである。

これが高じると、常に自分自身を意識するようになる。歩いていても、バスに乗っていても、皆が私の事を注目しているように思われる。青春時代に特有の感覚かもしれないが、私の場合は、大学に入ってからもさらには大学を卒業して就職してからもしばらくはこの感覚に悩まされた。

この自意識の感覚と決別できたのは、NTTの研究所で基礎研究部門から応用・実用化部門に移り、同僚やメーカーの人との付き合いなどでカラオケやゴルフにいそしむようになってからである。私がいわゆるサラリーマン化するとともに、このような感覚に悩まされる事が少なくなった。

さて今頃になって西欧の哲学の歴史に興味を持つようになり、岩波文庫などを買い込んで徐々に読んでいるところであるが、意識というものがどうとらえられて来たのかという流れがわかってなかなか面白いものである。

プラトンは人間の心の働きを理性(パトス)と感性(ロゴス)に分けた。これがその後の長い西欧哲学における理性が感性より重要であるという考え方の発端となったのであるが、これはあくまで心の働きを二つに分けているのであり、心と身体の関係については明確には述べていない。また心の働きという時、自分自身が持つ「意識」というものの位置付けはあまり明確に意識されていないようである。

つまり、ギリシャ時代さらにはローマ時代には、まだ自分自身で考えるという行為は「思う」というレベルにとどまっており、「意識」「自意識」という概念にまで到達していなかったのではないだろうか。

それが明確に意識されるのは、前回にも述べたがやはりデカルトの「我思う、故に我あり」であろう。すべてを疑って捨て去って行ったとき最後に残るのが自分自身の意識であるというのは、意識の存在の明確な宣言であろう。その意味では「我思う」に代えて、「我意識する、故に我あり」という言い方の方がより正確なのかもしれない。

もう一つ、デカルトの重要な仕事は、人間というものの存在を心と体もしくは精神と身体にわけて考える事を提唱した事である。いわゆる「二元論」の提案であり、これはそれ以降の西欧哲学史の大きな流れを作っていったと言える。

二元論の提案は同時に、人間の働きを考えるとき心の働きに重きを置くか体の働きに重きを置くかという二つの考え方を生んだ。いわゆる「唯心論」と「唯物論」の考え方であり、これがそれ以降の哲学の流れを大きく二分する考え方となっている。

自然科学は基本的には唯物論の上に立っている。私たちが認識する外界が事実として存在しており、その仕組みを探ろうというのが自然科学である。私たちを取り巻く物質界をその構成要素にまで分解して考える事により、どう構築されているかどう動くのかなどを考えることになる。

そしてこのような分析的な考え方に基づき、自然科学は近代に入って急速に発達してきた。しかし意識がどのようにして生じるかそして意識はどのようにして働くかは、いまだに大きな謎である。私が少年時代に直感的に感じた「私の意識がなぜ存在するか」という疑問は、哲学や自然科学の大きな問題(もしかしたら最大の問題)に通じていたのである。