シンガポール通信ークラウド・コンピューティング

最近何かとクラウド・コンピューティング(以後は「クラウド」と略する)に関して騒がしい。先日私が参加したマイクロソフト主催のワークショップでは、マイクロソフトも今後の会社としての戦略はクラウドであると盛んに力説していた。

クラウドとは、種々の処理やデータの管理をユーザの持っているパソコン・コンピュータで行うのではなくて、ネットワーク側で行う事を意味している。さて問題はこれが新しい概念なのかどうか、そしてどうして現在クラウドが大きな話題になっているかという事だろう。

クラウドは実は、処理やデータ管理をユーザ側ではなくサービス提供側が行う(中央処理)という概念と、それをネットワークを通して行う(ネットワーク利用)という概念が融合された概念である。

クラウドを単に処理やデータの管理をユーザ側で行わない事と解釈すると、実はコンピュータの使用の初期はそのような使用形態であった。1960年代のことである。もちろんまだパソコンという概念はなかった。大型のコンピュータが大学やメーカーのコンピュータセンターに設置され、我々ユーザは必要に応じそこにプログラムを持ち込んで処理を依頼したものである。この時代は中央処理の時代と言っていいだろう。まだネットワークという概念もなかった時代である。

そのうちに電話回線などを使って中央のコンピュータセンターとユーザがつながれ、ユーザはターミナルを使って中央のコンピュータを「タイムシェアリング」で使用できるようになった。ターミナルはそれ自身が何かの処理を行うのではなく、単なる中央のコンピュータの端末としての役目だけをしていたからダム(しゃべれない)ターミナル等と呼んでいた。

このことは、本来のコンピュータの使い方は、ユーザ側で処理するのではなくてコンピュータがすべての処理とデータの管理を行っていた事を示している。ユーザは、実際に処理を行ったりデータを管理したりしているコンピュータを見る事はなかった。ある意味でそれは「雲の上」で行われていたのである。なんのことはない、最初のコンピュータの使い方がクラウドだったということになる。

それからワークステーションの時代がやって来た。コンピュータセンターの大型計算機の代りにワークステーションが会社や大学の研究室に設置され、それらを会社や研究室のスタッフが共同で使うという時代がきた。それまでは、実際に処理を行っているコンピュータを目にすることはなかったが、ここで初めて人々はコンピュータを身近に見る事が出来るようになったのである。

とはいいながら、まだワークステーションを共同で使っていたわけなので、クラウドがミニクラウドになっただけという言い方も出来るだろう。また、大型のコンピュータとそれが設置された大型コンピュータセンターは健在であり、大手の企業がこれらのコンピュータセンターを利用するという形態も広く行われていた。

それからパソコンの時代がやって来た。パソコンはそれまで「向こう側」で行われていた処理やデータの管理を個々のユーザ側に持って来た訳であり、ある意味で革新的な変化であったと言えるだろう。メモリ量や処理速度の飛躍的な向上に伴い、これまで大型コンピュータやワークステーションで行われていた処理、データ管理が個々のユーザのパソコン上で行う事が出来るようになった訳である。ここで「旧クラウド」の時代は終わったと言える。

それではなぜ今ふたたびクラウドトいう言葉が広く使われるようになったのだろう。

(続く)