シンガポール通信ー都をどりとチベットの村祭り

京都の「都をどり」を鑑賞しているときに、なぜか以前にチベットを訪れた際に、たまたま出会ったチベットの農村の村祭りの事を思い出した。

このチベット訪問は、チベットの科学者兼宗教家と科学技術の未来ついて議論するためのワークショップに参加する事が目的であったが、中々チベットを訪問する機会もないので、ワークショップの前後に観光旅行も楽しんだ。ワークショップのことについては私の本でも少し触れたが、またこのブログでも別の機会に取り上げたい。

ちなみに、チベットでは科学者としてあるレベル以上になるには、チベットの仏教にも通じており仏教界でも認められている必要がある。いわば科学者兼僧侶であることが求められる。西洋では科学と宗教は隔てられており、日本でも同様の考え方が通常であるが、チベットにおけるような関係が本来の科学と宗教の関係だったのかもしれない。

昨年12月にタイの大学で行われた国際会議に招待されたおり、会議を主催している大学の先生といろいろと話した。その際最も驚かされたのは、タイでは一般人も僧侶としての修行・生活をある期間する事が求められており、その先生もつい少し前まで、数ヶ月寺院に泊まり込んで僧侶としての生活をしたことを聞かされたことである。

つまり、チベットやタイではまだ一般の人々の日常生活と宗教(仏教)とが非常に深く関わりを持っているのである。多分かっての日本(といっても鎌倉時代やそれ以前までさかのぼる必要があるかも知れないが)でもそうだったのであろうが、現在の日本ではそのようなつながりを見いだす事は困難である。現在では、寺院というと観光の対象と考えられているのではあるまいか。

チベットの観光旅行に話を戻すと、数日間の予定で車をチャーターしチベット高原を観光旅行した時の事である。チベット高原は標高が3000m程度、峠を越える時には4000m近くの高度になるが、峠を越えてあるチベットの町に着くと、ちょうど年に一度の祭りが行われているとのことだったので、早速見学されてもらった。

祭りは、民族衣装に着飾った若者達が寺院裏の山に登って清めの儀式を行うことから始まる。その後、祭りの中心は寺院の境内に移って種々の催しが行われる。まずは、若い男性達の行進や民族舞踊。その後、未婚の娘達がやはり豪華な民族衣装に身を包んで練り歩く。多分、村人達特に若者達や他村からの見学者への顔見せ的な要素があるのだろう。それらの出し物の間には少数の男性による熱狂的なダンスが挿入される。


男性達による行進とダンス

民族衣装で着飾った娘達


素朴ではあるがいつまでも見飽きない魅力を持っていて、私たちも何時間も我を忘れて見入ったものである。

(続く)