シンガポール通信ー都をどり

先週末に久しぶりに日本に帰国したので、京都の都をどりを鑑賞して来た。

京都には、春に舞妓さん・芸妓さんの踊りとして、都をどり、京おどり、北野おどり、鴨川をどりの4種類の踊りが4カ所の花街(祇園甲部、宮川町、上七軒先斗町)に対応してある。いずれも4月から5月にかけて開催される。(Webで調べたら、他にも祇園東で行われる祇園をどりというのがこれらとは別に秋に行われるとの事である。これは知らなかった。)

私は、大学時代に京都に6年間住んでおり、また東京から戻って来てからすでに京都は10年近くになるが、都をどりも含めて舞妓さん・芸妓さんの踊りを鑑賞するのは初めてである。

京都に住んでいると、なかなか京都の行事というのは見ないものである。どうせ京都の行事は観光客向けだろうという意識があったのかもしれない。祇園祭も最初に見たのは結局数年前だし、南座の顔見世も同様に数年前に初めて見た。

特に学生時代は、 海外文学に熱中していたせいもあり、 京都の歴史にはそれほど興味を持っていなかったし、京都の街も私にとっては古くさい一地方都市に過ぎないように映ったものである。

まあ、歴史とか文化に本当に興味を持ち理解し始めるには、ある程度の年齢が必要なのかもしれない。 顔見世を見たときに、それまでわからないものと決めつけていた歌舞伎がパンフレットなしでもかなり理解できることに驚いた経験がある。
都をどりは歌舞伎に比較すると歴史も浅く、明治時代に始まったといわれている。そのため私は、どうせ都をどりは舞妓・芸妓の学芸会のようなものだろうという考えを持っていた。そのこともあって、都をどりの鑑賞は最近までしなかったのであるが、海外に住むようになると日本文化が恋しくなるものである。

さて当日は祇園の歌舞練場に出かけたが、中々大変な人手である。日曜の午後なので、もちろん都をどりを鑑賞に来た人だけではなく一般の観光客も多いことにもよるが、祇園花見小路はタクシーが動かないほどの人と車の渋滞である。

歌舞練場に入りお茶の接待を受けてから会場に入る。もちろん地元の人たちも多いが、それ以上に多いのが観光客である。海外からの観光客も多く混じっている。海外からの観光客は通常は陽気で大きな声で話し合ったりしているものだが、会場の雰囲気におされているのか神妙な顔で開演を待っている。

さて幕があると、右手には地方の人たち、左側には舞妓・芸妓によるはやしの人たちがずらりと並び、そこに左手・右手から同じ着物姿の 舞妓・芸妓が入ってくる。いわゆる総をどりである。


総をどり、後方は地方さんたち(京都おこしやす.comに載っている写真を使わせてもらいました)


多分、新人の舞妓・芸妓のお披露目もかねているのだろう。このあたりは舞妓・芸妓の学芸会という雰囲気も持っている。京都の人たちにとっては顔なじみの顔と同時に新人の顔を見る機会でもあったのだろう。

しかし全員が同じ衣装というのは見ていると飽きてくるものである。同じ調子で最後まで続いたら眠くなってしまいそうだとけしからぬ考えを持ったのであるが、これは見事に裏切られた。

総踊りの後は、いくつかの場面にわかれており、それぞれの場面は京都の四季を取り上げたシーンであったり、京都の歴史の一場面を取り上げたシーンであったりする。パンフレットを見なくても、地方の謡を聞いているとある程度は理解できる。

将軍に嫁ぐ和宮が江戸に行く前に寺社を訪れる場面であったり、夏の灯籠流しの場面であったり、冬の祇園の宴会場の場面であったりする。いずれの場面も特につながりはないが、そのため逆に各シーンがそれぞれ独自の華々しさを持っている。
秋の紅葉のシーンや春の桜のシーンは観客からどっとため息とも歓声ともつかない声が漏れるほど背景が華やかであり、また舞妓・芸妓の衣装もあでやかで見飽きない。特に京都の歴史などの背景を知らなくてもエンタテインメントとして十分楽しめる。

私が思っていたように、京都の人たちにとっては自分たちの大切にしている舞妓・芸妓の年に一度の学芸会としての位置付けを持っている事は確かである。と同時に、それを超えて海外からの人たちも含め、観光客を楽しませることのできるエンタテインメントに高める事に成功しているのは、さすがに京都の持つ力というものを感じさせてくれる。