シンガポール通信ープラトンの「国家」と日本

プラトンの「国家」は、国の体制はいかにあるべきかを述べた本であるが、同時に国家を構成する一人一人の国民が人間としていかに生きるべきかという倫理・道徳も述べた本として有名である。

「国家」の終わりに近い部分に、国の政治体制について論じた部分がある。民主主義や君主制などいくつかの政治体制を比較してその優劣を論じているのだが、なんと複数の政治体制の中で民主主義がほぼ最下位に位置付けられている事に読者は驚かされる。

この驚きは、現在では民主主義が政治体制としてはほぼ望みうる唯一の解であるかのように思っている我々にとって、哲学者として有名なプラトンが意外な意見をはいている事からきているのだろう。

プラトンは、代わりに哲人政治を最も望ましい政治体制としてあげている。ここで言う哲人とは、倫理的にも道徳的にも優れておりかつ人々を指導していけるリーダーシップを持った人間である。その具体的なものとして彼は哲学者をあげている。つまり哲学者が国のリーダーとして政治を行って行くのが理想的な国家であるとしているのである。

さて民主主義に話を戻して、プラトンが民主主義の位置づけを極めて低くしている事を論じる時、プラトンの言っている民主主義と我々の考えている民主主義の内容が違う事に気をつける必要がある。

プラトンの言う民主主義は基本的には直接民主主義である。当時のギリシャアテネやスパルタなどそれぞれの都市が政治的に独立した一つの国家として成り立っていた時代である。いわゆる都市国家の時代である。

したがって、それぞれの都市国家を構成している人々のうち、政治参加権を持っている人たち、いいかえると市民権を持っている人たちの数はそれほど多くなかった。したがって政治的に何かを決める必要がある場合は、全員が集まり議論して決めていたのである。

それに対し我々が一般に言う民主主義とは間接民主主義である。それぞれの選挙区単位で代表者である議員を選び、議員がそれぞれの選挙区の人々の意見を代表する形で、国会などの場で議論して政治の方向を決めて行く。

さてなぜプラトン直接民主主義を評価していないのだろう。直接民主主義は、選挙権を持つ市民一人一人が政治に参加できる平等の権利を持っている。しかし、これはいいかえれば、市民全員が国の政治に参加するという高い政治意識を持っており、議論の場でも真剣に議論が戦わされるという前提が必要である。

しかしながら、すべての人々の高い政治的意識を期待するのは困難であり、興味半分であったり冷やかし半分で議論に参加する人も多いことは十分予想されるし、ギリシャ時代もそうだったのだろう。

当時のアテネの時代的背景を考えると、アテネがスパルタなどギリシャ連合との長い戦いに破れ、人心とも疲弊し乱れていた時代である。そのような時代だからこそ、人に高い徳が必要だと説くソクラテスのような人が疎まれ死刑に追いやられたのである。

いいかえると、ソクラテスに死刑を求刑するほど人々の道徳心が低下していたのである。そのような時代の民主主義とは、ある意味で人々が好き勝手をしていた時代だという事も出来る。プラトンはそれを見てやはり一般の大衆に政治をまかせておいてはだめだと考えたのだろう。そのことが、彼が民主主義の位置づけを極めて低くした理由と考えられる。

ひるがえって、彼が哲人政治に対して高い評価をしているのも、民主主義に失望している事の裏返しと考える事が出来る。たぶんプラトンの頭の中では、師であるソクラテスや自分自身の事を思い描いていたのだろう。もっというと、自分にアテネの政治を任せてくれれば現在のアテネのような堕落した国家にならずに済んだのにという、プラトン自身の愚痴が聞こえてくるようでもある。

(続く)