シンガポール通信ーイノベーションとタイミング2

前回のブログは、なんだか任天堂の悪口のようになってしまったが、私の本意ではないので、次に任天堂の先進性について少し述べておこう。
任天堂はアップル同様に、コンセプト重視、技術重視の会社である。新しいコンセプトの製品・サービスの開発に力を入れて来たし、またそのために何度か失敗もしている。その意味でアップルと似た会社であるという事も出来る。

なによりもまず任天堂がなぜゲーム会社に変身したかまた出来たかということが興味深い。ご存知のように任天堂は元々花札やトランプさらには囲碁・将棋などの古典的ゲームを作り販売して来た会社である。もちろんその分野では老舗であり誰でも知っている会社であったが、我々の世代にとっては伝統を守り花札作りを続けている会社としてのイメージが強かった。

しかし現在の若者、特に海外の若者にとって任天堂のそのような過去を知る人は少ないだろう。何より海外のゲームオタクにとって任天堂はNintendoであり、Nintenndoはビデオゲーム一般をさすことすらある。

海外のゲームオタクにとって京都の任天堂本社は聖地のようなものらしい。かってMIT出身でゲームオタクの若者と京都の私の会社で仕事をした事がある。彼は特に戦国時代もののゲームが好きで自分の事を「セッシャ」と言っていたほどであるが、京都に来て最初にした事は任天堂の本社を訪れることであった。

ところが、その後がっかりした顔をして帰って来た。彼によると、任天堂本社というからには、任天堂の各種のゲームや会社の歴史を展示する立派な展示コーナーが用意してあり、聖地を訪れる訪問者を歓迎してくれるはずであると思い込んでいたらしい。ところが行ってみると何の変哲もないビルがあるのみであり、しかも部外者立ち入り禁止ということで肩すかしを食らわされたらしい。

しかしそこはゲームオタク。エルサレムを訪れる巡礼者よろしくビルの周囲を何度か巡り、最後は正門でビルに向かって一礼して本社に敬意を表したのだそうである。多分帰国した際に友人などに、京都の寺社仏閣などと一緒にその秘密のベールに守られた任天堂本社という聖地訪問の経験を自慢するのだろう。

その任天堂がどうしてゲーム機器のさらにはソフト開発メーカーに変身できたかは、それ自身が大きなミステリーである。前社長山内博の天分によると言ってしまえばそれまでだが、ともかく電子ゲームという分野に将来性を感じ取り、任天堂の将来を賭けるという行為にでたことが、今日の任天堂を築いたと言える。この動物的感覚はアップルのスティーブン・ジョブスと共通のものを感じる。

任天堂ファミコンが大ヒットした後、今日までゲーム機器メーカの代表格と目され王道を歩んで来たように見える。しかし、実はビジネス面で何度も失敗をしている。私の知っている範囲では、3Dゲーム機の販売とゲームの配信ビジネスで失敗している。

1つは、現在ではあまり知られていないが、1990年代半ばに3Dゲーム機を開発販売した事がある。私自身も試してみた事があるが、原理自体は現在話題になりつつある3D映画や3Dテレビと同じである。ただ当時のプロセッサはまだ速度が遅かったのでゲーム世界を枠組み(ワイヤフレーム)だけでしか表現できずゲームとしての完成度は低いものであった。

またそのためにあまり世に知られる事なく、ひっそりと消えて行った。しかしながら、ゲーム機の未来に3D技術がある事を予感し、それを実際にゲーム機として開発し世に問うたということは任天堂の新しい市場を開拓しようと言う先駆者魂のようなものを感じさせた。

現在任天堂は、眼鏡のいらない裸眼で立体感が楽しめる新しい3Dゲーム機を開発中とのことであるが、当時の失敗に学んだ新しい戦略をとってくる事が期待される。

もう一つは、ゲームの内容を気軽に書き換えることのできる環境を整えようとした事である。ゲームの入っているゲームカセットのロム(ROM)の内容を書き換える事により、ゲームごとにカセットを買わなくても良い仕組みを導入しようとしたのである。そのために、1990年代後半だったとおぼえているが、全国のコンビニにカセットの書き換えの出来る端末機器を設置した。ユーザはその端末機器にカセットを差し込む事により、新しいゲームに書き換える事ができるというものである。

これは現在の、ネットからゲームをダウンロードするというビジネスモデルの先駆となったものだと言える。当時は、インターネットは普及しつつあったとはいえまだ速度も遅く、ましてや無線経由でのゲームのダウンロードなどは時間がかかりすぎて現実的ではない時代であった。したがって、ネットからのダウンロードではなくて、コンビニに設置された端末機器からの書き換えという考え方は当時としては現実的でありかつ先駆的だったと言えよう。

しかしながら、わざわざコンビニに出向く必要がある事や書き換えの費用の問題、さらにはインターネットが急速に普及したという外部条件のためなどで、このビジネスは普及するにはいたらなかった。ビジネスモデルとしては失敗だったのである。

しかしながら再度言うと、ゲームを購入することをカセットというハードを買うという行為によって行うのではなく、ソフト書き換えという行為を行うことで置き換えようとする考えは、現在のダウンロードによるゲーム購入の先駆けとなるビジネスモデルであり高く評価できる。

多分これらの失敗から任天堂は製品・サービスが人々に受け入れられるための条件、特にタイミングの重要性を学んだのだろう。最近のWiiに代表される任天堂のビジネスを見ていると、消費者の心理をとらえる事が極めてうまいことに気づかされる。この辺りもアップルと似ていると言えないだろうか。