シンガポール通信ーイノベーションとタイミング

新しい製品やサービスが人々に受け入れられるためには、製品・サービスとしての革新性や技術の革新性と同時に、それが人々に受け入れられるだけの土壌が育っている事が必要である事を書いた。つまり製品・サービスとして革新的であっても、同時にタイミングが極めて重要な要素なのである。アップルの製品について例を述べたが、国内でも同様の例は多い。私の知っている例を少し挙げたい。(私の本の内容と一部重複していることを御許し願いたい。)

かってゲームセンターでダンス・ダンス・レボリューションDDR)というゲームがあったのをおぼえておられる人も多いだろう。これはコナミの開発したゲームで、ダンスに合わせてうまくステップを踏むことをゲームに仕立てたものである。従来のゲームがコントローラのボタンを押すことによってゲームを進めるようになっていたのに対し、体全体を動かすことによってゲームを行うという、いわば体験ゲームのきっかけとなったものである。

体感ゲームというと、現在では通常は任天堂Wiiをさすと理解されている。しかし実際には、そのきっかけを作ったのはDDRである。DDRは一時期ゲームセンターでは大人気であったし、コナミはそれを家庭用ゲーム機に応用しようとしたが、結局家庭用ゲーム機上ではあまり普及せず、そのうちゲームセンターからも消えてしまった。

この原因はいろいろあるが、一言でいうとダンスステップが高度化しすぎてDDRオタクしか使いこなせないものとなったのが、一般の人に受け入れられなくなりさらにはゲームセンターからも消え去った理由だろう。コナミは、ゲームセンターでDDRが成功した理由を高度なダンスステップを踏むという快感に基づくものと考えた。いわばその成功体験の故に、一般の人向けにいかに簡易化するかというゲームデザインに力を入れなかったのだろう。

任天堂Wiiは基本的なコンセプトはDDRからもらっているといっても過言ではない。Wiiが成功したのは、一方でWiiリモコンという優れたインタフェースを持つコントローラを導入したことと、他方で当初から子供や高齢者を含めた一般の人をターゲットとし、彼等にいかに受け入れられる体感ゲームを開発するかというゲームデザインに力を入れた事にある。

何やら前回書いたニュートンの失敗に学び、ネット接続とタッチインタフェースという新しい技術を取り入れる事と、使いやすさというデザインに力を入れる事によりiPhoneで人々に受け入れさせる事に成功させたアップルの例に似ているではないか。

ただし、私はWiiの現れた当初からどうしてもこのゲーム機が好きになれなかった。買って試してみた訳ではないので、自分で自分の言っている事を否定しているようであるが、体感ゲームというのはやはり体全体を使うべきものだという考えから抜ける事が出来ないのである。

具体的な事例を挙げよう。たとえばWiiを使ったテニスゲームやゴルフゲームでは実際にボールを打った感触を味わえない。またテニスでは左右前後に動き回る事その事がスポーツとして大切なのであるが、それを再現する事は出来ていない。つまり、ラケットを振るというテニスというスポーツのごく一部の体験を実現しているに過ぎない。これはゴルフゲームでも同様であろう。

しかも慣れてくるとわかると思われるが、加速度センサーを使っているのでなにも腕全体を動かさなくても手先だけ動かせばいいのである。(この部分は私の推測なのであるが、韓国の友人の研究者がその通りだと同意してくれた。)何の事はない、小手先の動きだけでテニスゲームが出来るなら、それは体感ゲームとは言えない。

スポーツの優れたところは、体全体を動かして爽快感を感じるという、身体的体験を味わう事にあることは私の本で述べたが、Wiiではそれは体験できないのである。とするならばそれは偽物(フェイク)である。スポーツと異なる体験を作り出せるのなら許せる。しかしながら、実際はスポーツ体験になっていないのに、あたかもスポーツ体験が出来るかのように宣伝するのは、ブランド品の偽物を売るのと同様のことを行っている事になる。

私は、Wiiが出て来たときに直感的に何か嫌なものを感じた。DDRのストレート性に対して何か偽物臭い感じがしたのである。それを考えてみると上のような理由付けになるのだろう。

これは決して任天堂を非難しているのではない。任天堂は純粋にゲームとしての面白さを追求し、従来のゲームに何か付加価値をつけて売り上げを伸ばそうと考えて開発したのだろう。これは利益を追求する企業として当然であろう。ただ、当然ではあるが、Wiiの限界を知りその範囲内で消費者を喜ばせようと考えるべきであり、任天堂自身は当然それをわかっているであろう。

問題はむしろ、Wiiの成功を見て、これこそが体感ゲームでありそれを開発した任天堂は偉いと褒めちぎる一部のマスコミ関係者や識者にあるのではないだろうか。このような人たちに限って、Wiiの売り上げが落ちたりするとそれ見た事かとばかり「任天堂Wiiの行方に暗雲」等と書きたてる。もっとも私自身も付和雷同の部分は持っているので、あまり強くは非難できないが。

(続く)