シンガポール通信ーアップルの復興

iPoneがなぜアップルに開発できて、日本の携帯電話メーカーに出来なかったのだろう。と考えるとそれは結局、アップルが持つこれまでの経験とさらには失敗の歴史があるからだと答えざるを得ないことになる。

アップルはかっては技術至上主義の会社であった。ともかくも新しい技術とコンセプトを持った製品を開発する事に命をかけていた会社であった。デスクトップ・インタフェースを取り入れたマックの開発やその上で動く各種の先進的ソフト、そしてまた世界初のPDA(パーソナル・ディジタル・アシスタント)であるニュートンの開発など、時代に先駆けた製品を次々と世の中に送り出してきた。

デスクトップ・インタフェースの革新性は論をまたないであろう。その後マイクロソフトも結局このアイディアを採用しWindows OSを開発する事となり、現在のパソコンはじめiPodなどの携帯型音楽プレーヤー、iPhoneなどの携帯電話もデスクトップ・インタフェースを取り入れる事ががごく通常になっている。

余談であるが、よく知られているように本当のデスクトップ・インタフェースのはしりはゼロックスが開発したものである。しかしこれに目をつけパソコンのインタフェースとして採用し完成させたのはアップルである。

また、ニュートンはペンによる手書き入力を採用するなど、コンセプトとしてはiPhoheやiPadの先駆けとなるものである。1992年の発売であるからすでに20年近く前に、現在世の中でもてはやされている製品をアップルは世に問うた事になる。極めて先進性に富んだ会社だということができる。

しかしながら、よくあるように、かならずしもコンセプトとしてまた技術として先進性に富んでいるからといって、世の中に受け入れられる訳ではない。先進性だけではなく技術が成熟し使いやすくなるとともに、そのような機器を日常生活で使う生活スタイルを人々が取り入れ始めているという事が必要なのである。

このことは、製品が世の中に受け入れられるためには、タイミングが極めて重要である事を示している。ニュートンは製品コンセプトとしては、現在のiPhoneを先取りする極めて先駆的な製品であった。しかしながら、当時はまだ携帯電話が普及しておらず、無線によるネットとの接続が実現されていない時代であった。

PDAが能力を発揮するのは、ネットと接続され常に最新の情報が手元に届く状態が実現されて初めてである。いかに単体として優れた機能を持っていても、それをオフラインで使うことが通常の使い方なら、結局メモ帳と同じことになる。そうすると、普段使い慣れているメモ帳の方が良いという事になる。結局話題にはなったものの、ニュートンはビジネスとしては失敗であった。

これらを含めて、初期のアップルの製品開発の多くは会社設立者でありCEOであるスティーブン・ジョブスがアプッル全体を牽引しながら実現して行ったものである。その未来を見通す力は、従業員やアップル信奉者からは尊敬されカリスマとされていた。しかしながら、これらの製品の多くをビジネスとして成功させる事ができなかったため、アップルは経営困難に落ち入り、結局ジョブスはアップルから追放される事になった。

そのころであるが、CG関係の国際会議SIGGRAPHでジョブスの講演を聴いた事がある。SIGGRAPH自体は参加者数万人という巨大な催しであるが、それに併設されている数百人が参加するワークショップで彼の講演を聴いた。

彼は当時ピクサーの会長をしており、フルCG映画「トイ・ストーリー」を完成させた頃であり、トイ・ストーリーの製作過程などに関して講演した。もちろんまだ彼のカリスマ性は健在であり、満員の聴衆は拍手と歓声で彼を迎えた。しかしながら私の目からすると、かってアップルを率いて世界中からカリスマ技術者・経営者と見なされていた彼が、数百人を前に講演している姿は、何となく物悲しく感じられたものである。ああジョブスも過去の人なんだなという感想を持った事をおぼえている。

しかしこれは完全な私の誤りであった。当時彼は、確かにこれまでの経歴からするとどん底にいたといえる。しかしながら、実はトイ・ストーリーを引っさげて再び表舞台へ出る事を画策していた時期だったのである。いわばリターン・オブ・ジョブスを開始しようとしていたのである。もちろんそれが成功するかどうかは彼自身も確信していた訳ではないだろう。しかしながら、彼を過去の人と考えていた私が完全に誤っていた事は確かである。

現在ジョブスを数百人の参加する講演会に呼ぶ事は不可能であろう。最低数千人、しかもマスコミなどが注目する講演の場でしか彼のリアルな姿に接する事は出来ない。その意味で、身近に彼を見る機会を持てた事は幸運だったいいっていいのかもしれない。