シンガポール通信ーiPadのイノベーション

アップルのiPadが米国で発売になったということで、米国では大変な騒ぎのようである。ネット上でも記事があふれているし、今朝のシンガポールのテレビChannel News Asiaでも大きく取り上げていた。日本からわざわざ米国に取材に行ったり買いに行ったりしている人の記事もネット上にのっており、過剰気味の騒ぎである。

たしかに従来なかった商品であり、それを人に先んじて買いたいという人の心理もわかる気もする。しかし、まだソフトも十分そろっているとは言えない状況であり、本当に買って使ってみたいという欲望より、人に先んじて買うことその事自体を競争したり楽しんだりしていると言えなくもない。

さてiPadの機能については、ネット上であれやこれやとかまびすしいが、現時点では基本的にはiPoneと同様と考えられる。電子書籍を読む機能がついている事が新しいといえるが、それに関してはすでにアマゾンのキンドルなどの先行商品がある。しかもコンテンツをそろえるのはこれからということのようなので、現時点では大型のiPoneに過ぎないという事も出来る。もしくはiPhoneキンドルを合わせた融合型商品と言えるかもしれない。

しかしながら、その気になってみるとiPhoneも従来の携帯に比較して極めて革新的な技術がある訳ではない。従来の携帯電話と携帯用音楽プレーヤーiPodの機能を合体したものに過ぎないという言い方も出来るのではないだろうか。

これは決して悪口を言っているのではない。技術的にinnovative(革新的)であるということと商品として革新的であったり魅力的であったりする事は必ずしも同じではないということである。

ひるがえって考えてみると、日本の携帯電話はいろいろな機能を取り込みながら、結果としてその機能があいまいになり、結局のところ基本的な携帯電話としてのジャンルを超えられなかったのではないだろうか。

一時期はカメラの解像度の精細化に熱を上げ、やれ何Mピクセルの解像度の新製品だなどと広告をにぎわしたものである。しかしながら、使ってみるとわかるが、使われているカメラレンズの性能が抑えられている以上、解像度が高くても撮られた写真はピントが甘かったりしてがっかりしたものである。

それに対し、たしかにiPhoneは電話という機能を超えて、ネットワークとの接続機能をベースとしながら、携帯用音楽プレーヤー、携帯用ゲーム機などの複数の機能を合体した新しい端末になり得ているのではないだろうか。

そして何よりそのインタフェースが魅力的である。これも従来のボタンを押して選択するインタフェースと機能的には同様なのであるが、タッチ式スクリーンを取り入れる事により、いかにもスマートなインタフェースに仕上げている。スマートフォンと総称されるゆえんかもしれない。

しかし、タッチ式スクリーンそれ自体も、別に新しい技術ではない。従来のパソコンでも取り入れられている技術である。しかしながら卓上において使うパソコンでは、タッチ式のインタフェースよりキーボードを使うインタフェースの方が、圧倒的に使いやすさで勝る。

ところがスクリーンが携帯電話のレベルまで小さくなると、小さなボタンをちまちま押しているより、タッチ式で操作した方が使いやすくなるのである。つまりパソコン上ではアイコンとマウスという組み合わせがよくマッチしていたのに対し、携帯電話上ではアイコンとタッチ式インタフェースのマッチがよりスマートでベストであるということになる。

iPhoneが出現してみるとなるほどそうだったのかと納得できる訳であるが、これまでのメーカーは気づかなかったもしくはわかっていても具体的に商品として開発し消費者に提示できなかった事になる。

これこそ消費者の視点に立ったデザインの力ではないだろうか。そしてアップルはその力を持っている事になる。日本の携帯電話メーカーもデザイナーはたくさん抱えているはずなのであるが、デザインの「見栄え」という面に力を注ぎ過ぎ、「使いやすさ」という面に気を配ってこなかったのではないだろうか。

家電製品や車などでは、使いやすさに気を配る事が商品開発では最も重要な事である事は、すでに認識されている。そしてたしかに国産車は、外国のメーカーの車と比べると、いわゆる「かゆい所に手の届く」デザインがなされている。家電製品や車のメーカーに比較して携帯電話メーカーはまだデザインに関し未熟なのかもしれない。しかしそれならアップルはなぜそれが出来たのだろう。