シンガポール通信ーバイオリン

現在、成田からシンガポールに向かうUAの機上である。今回の出張は、10日間で東京・ボストン・ソウルと3カ所での会議に出席したため、かなりきついスケジュールであった。東京での会議(カルチュラルコンピューティングのシンポジウム)に関しては既に紹介した。他の会議についても紹介する予定であるが、機上で食事の後少し酔った頭で休んでいると、昔の事を思い出す。というわけで、今回は大学時代の思い出話。

大学時代にしばらくバイオリンを習った事がある。ブログの別の記事でも書いたが、私は中学・高校時代を通して自分は音痴であると信じ込んでいた。だから、クラシックを聴く事は好きだったが、自分だけでは楽器の中でも難しいとされるバイオリンを習う事を決心する気にはとてもならなかっただろう。

たまたま、同じ高校の出身で一つ私より年下の友人が同じ大学に在籍していた。仮にA君としておこう。私の高校は田舎の高校であり、京都にあまり友達もいなかった事もあり、彼とは読書会を一緒にしたり、ハイキングに出かけたりと良く一緒に行動した。私は工学部であったが、当時は海外文学に熱中しており、同じ工学部の連中と一緒に行動する事は少なかった。

A君は経済学部であったが、私同様文学青年の一面を持っており、夏休み期間を利用してシェークスピアハムレットを原文で読破したりしたものである。16世紀の英語はもちろん現代の英語と異なっており、最初はとっつきにくかったが、そのうち格調高い英語に引き込まれて一ヶ月で読破することができた。(この話はまた別の機会に詳しく書く予定。)

そのうち、A君もクラシック好きで好奇心に富んでいた事もあり、一緒にバイオリンを習わないかと私に持ちかけて来た。音痴であると信じ込んでいた私には、とてもバイオリンを弾く技能を身につける事が出来るとは思わなかったが、同時に普段聴いているクラシック音楽においてバイオリンが果たす主役的役割やその音色の魅力にも惹かれていたので、無謀とは知りつつ彼の提案に乗る事にした。

A君は何のツテを通してかバイオリンの先生を捜して来た。当の先生は実際にはチェロが専門なのであるが、チェロもバイオリンも同じ弦楽器、これらを惹きこなすのは技術より精神的なものが大切であるという信念を持っており、我々のような二十歳を過ぎ技術的な急速な進歩は望めないような生徒には適しているだろうという事でその先生につく事とした。

案の定、技術的な事を教えてもらうというより、音楽に対する精神的な取り組み方を指導してもらう事が多く、レッスンも少し弾くと後は延々と精神指導をされるという事が多かった。もちろんそれは、こちらが技術的な進歩が遅く、あまり技術的な事を指導しても実りが少ないだろうという先生の配慮による事もあったのかもしれない。

ともかく私もA君も技術的な進歩は遅々としており、自分でも嫌になってくるほどであった。それでもレッスンを続けられたのは、1つには先生の精神的指導が私の感覚に合っていたからであろう。A君も私同様、青臭い文学青年的なところを持っており、先生の精神的指導を好んでいたようである。

しかし他にも理由があった。もしかしたらそちらの方が大きな理由だったのかもしれない。それは先生以外に先生のお弟子さんにレッスンしてもらう事が多かったことである。先生の代わりにレッスンをしてくれるのは先生の一番弟子で私たちから3歳ほど年下の音大の学生さんであった。仮にM嬢としておこう。先生も彼女を大変かわいがっており、忙しいときには良く私たちのレッスンを任せる事があった。美人だというわけではないが、キュートで文学少女的な雰囲気を持っており、A君も私も好きなタイプであった。

とは言いながら私は奥手だった事もあり、レッスンを受ける事その事を純粋に楽しんでいたといっていい。ある日一緒にレッスンを受けた帰り道、A君が唐突に「Mさんは中津さんに気がありますよ。レッスンの時の態度でわかります」と話しかけた。全くそのような事は意識にあがった事がないので、「まさか」とあいまいな返事をしておいたが、もちろんうれしくなかった訳ではない。

(続く)