シンガポール通信ーカルチュラルコンピューティングに関するシンポジウム2

前回の続きとして、シンポジウムにおけるパネルの発表内容や議論を紹介したい。パネリストとコメンテーターは以下の方々で、パネリストが順に話題を提供し、それぞれの内容に関しコメンテーターやさらには会場の人々が種々のコメントを述べて議論を進めるという方式であった。


<パネリスト>
    徳岡 邦夫(京都吉兆嵐山本店総料理長
    改田 哲也(トヨタ自動車 企業価値創造室長)
    鎌田 東二(京都大学こころの未来研究センター教授・フリーランス神主)
    中津 良平
<コメンテーター>
    美濃 導彦(京都大学学術情報メディアセンター長)
    黒橋 禎夫(京都大学情報学研究科教授)
    中村 裕一(京都大学学術情報メディアセンター教授)


まず、鎌田さんの吹くホラ貝でパネルが開幕した。これは場を清める意味があるとの事で、聴衆も驚くと同時に会場が厳粛な雰囲気に包まれた。

最初の徳岡さんは、最近ミシュランの三ツ星を取り話題になっている京都嵐山の吉兆の総料理長である。料理は人間の最も根源的な欲望を満たすためのものであるが、それがどうして文化にまで高められるのかという意味で大変興味があった。どのようにしておいしさを創り出すのかという内容かと予測していたが、料理は料理人とお客のコミュニケーションであり、それぞれのお客に楽しんでもらうようにいかにお客に合わせて料理を作るかという内容であった。

料理がコミュニケーションであるというのは大変新鮮かつ刺激的な発言であり、それに沿って議論が発展した。多分ここに本能を文化に高めているキーワードがあるのだろう。仏教などでは 人間の動物的側面である本能的欲望は抑えるべきものであると説かれているが、そうすると料理もあまりにもおいしさを追求すぎてはいけないことになる。ここに京都の薄味の意味があるのかもしれない。徳岡さんは近々シンガポールに支店を出されるとの事であるが、シンガポールでこの考え方が受け入れられるかどうか興味深いところである。

次の改田さんの話は、車の基本的なコンセプトを考え直し、新しいコンセプトを創りだそうと言うトヨタの試みに関する話であった。そのためには車の外と中を遮断するという現在の車のコンセプトを変え、車外の人々とのふれ合いを重視する方向を狙っているとの事でありそれをコンセプトビデオも含めながら述べられた。ここでも人々の間のコミュニケーションが重要視されている事は興味深い。

当初はトヨタの宣伝だろうと軽く考えていたが、まじめに車の未来を考えておられるようで、改めてトヨタを見直した。ただ、まだ「移動を効率的に行う」という現在の車のコンセプトを破るところまではいっていないようである。車外の人々とのコミュニケーションを重要視すると、最終的には車に乗るのではなく歩いたり自転車で移動すれば良い事になる。この問題に今後トヨタがどう取り組むかは極めて興味深い問題である。

鎌田さんは、京大教授であると同時に神主であり、その立場から神仏習合に関連した幅広い話題を取り上げて、異なる宗教が融合しているという日本独特の宗教の話題をわかりやすく説明された。神道の神は八百万の神であり西欧の一神教の神とは概念が異なる、そしてそのために神仏習合が可能になったのだというのが基本的な説明であった。普段深く考える事のない問題であるが、現在でも我々の生活の深いところで神道と仏教は同居しており、この説明により我々の文化の深い部分が良く理解できた。

この後の私の講演で述べたが、ギリシャの神々も神道と同様に多神教である。その意味で、日本と古代のギリシャは似たところが多いのであるが、その後なぜ西欧はキリスト教一色になったのかというのが、興味深い。西欧と東洋の歴史・文化の比較というのは今後カルチュラルコンピューティングを進めて行く上で重要なテーマであろう。

私は西洋と東洋の神話・文学などの文化や古代ギリシャ平安時代と現代との文化に類似点が多い事を述べ、種々の文化をコンピュータで取り上げることの可能性を指摘した。さらにロゴス(知)とパトス(情)を峻別して来た西欧において携帯などの新しいメディアの導入により、ロゴスとパトスが再び接近しつつある事を指摘した。これは、例えば会議中やディナーの際にメールを読み書きしたり、時と場合を選ばず写真を取ると言う最近の西欧の人々の行為を見ていて気づいたものである。

これは、西欧と東洋の行動様式が似たものになりつつある事を示している。この事はある意味で西欧と東洋の文化をコンピュータ上で一律に扱う事がより容易になる可能性のある事を意味している。しかし、西欧と東洋の差がなくなるというある種の混沌とした状態が生じる事が良い事か悪い事かはまた別の問題である。

この点について長尾先生からは、ギリシャ時代や平安時代と比較して外的には現在の人々の行動様式は似ているにせよ、現代の方が明らかに人々の行動は堕落しているとの指摘があった。古代に比較して人々の行動が堕落しているとすれば、文明の発展とは何だったのかという事になる。これは今後深く考えるべき事であろう。

最後に再び 鎌田さんの吹くホラ貝でパネルが閉幕した。文化をコンピュータ上でどう扱うかという本来の狙いからは外れて、むしろ文化とは何かを研究者、技術者、職人さらには会場の人たちが議論する場になった。しかし文化を扱う際に、いきなり方法論に入るのではなくて、文化の本質を十分議論する事は大切な事であろう。この後行われたパーティでも多くの人から深い議論が行われたとの感想をもらったが、その意味では、本パネルは成功だったといっていいだろう。


鎌田さんによるパネルの閉幕を告げるホラ貝、比叡山の方角に向けて吹く