シンガポール通信ーNTTで実用化に携わった思い出

22日、23日と京都大学で行われる「第1回文化とコンピュータ国際会議」に出席のため、19日から帰国している。19日はオーム社を訪問して出版のお礼をすると共に、今後の宣伝の進め方について担当の方と打ち合わせを行った。その後、横浜にてNTT時代の同僚との飲み会があったのでそれに出席した。今日はNTT時代に実用化に携わった思い出を。


私は、1971年の大学修士課程修了と共にNTTの研究所に就職し、その後1994年にATR(国際電気通信基礎技術研究所)に移るまでの20年以上をNTTでお世話になった。その間、1980年から1990年までの10年間は、横須賀の研究所で応用研究や実用化に携わって過ごした。その前後は東京都武蔵野市の武蔵野研究所で基礎研究に携わったので、ちょうど20年の半分を基礎研究、残り半分を応用研究・実用化に携わった事になる。

基礎研究に携わっていた時代の仲間達とは今でも付き合いがあり、特に当時の研究所の室長でその後東大に移られたS先生が2年前に最近亡くなられた事もあり、1回忌、2回忌という形で年1回会う機会を持っている。一方、横須賀研究所時代の仲間達とは、自発的に当時の仲間達で年1回会って、飲みかつ近況を報告し合う会を持っている。

横須賀研究所を去ってからすでに20年経っているので、この飲み会はすでに20年間続いている事になる。大学の同窓会や同じゼミ仲間が時々会う機会を持つというのは良く聞く話であるが、企業の同じ研究グループ(事業部門で言えば課に相当する)に属した仲間達が20年たった後も毎年会う機会を持っているというのはめったにないのではないだろうか。

この連帯感がどこから来ているかを考えると、我々のグループが関わっていた音声認識音声合成の実用化に、当時グループのメンバー全員が一体となって携わったという経験が大きく影響しているのは間違いない。音声認識音声合成はコンピュータで人間の声を聞き分けたり、人間の声を作り出したりする技術である。研究としては長い歴史を持っている分野であり、世界中で多くの研究者がこの分野で研究している。しかしながら、実際に人々に使ってもらうという実用化・商品化に関してはなかなか進歩の遅い分野である。

それがたまたま当時のNTTが、銀行口座の情報案内サービスや振込サービスなどを電話を使って行おうというサービスを音声認識音声合成の技術を使って実用化しようという事になり、その実用化を我々のグループがNTTの事業部門と共同で行うこととなったのである。

現在では、銀行の残高の確認や送金などのサービスを、パソコンや携帯電話を使ってオンラインで行う事はごく普通のサービスになっている。しかし当時はまだパソコンの普及が始まりかけた時代であり、これらのサービスを受けるのは銀行の窓口に行かないと出来なかった時代である。それを電話機という、各家庭に普及しているメディア(現在ではすでに古いメディアになりつつあるが)を使って、家庭にいながらにしてサービスを受けられるようにしようというのである。当時としては、革新的なサービスであった。

実用化となると、まず事業部門の連中との打ち合わせをして、サービスを実行するためのコンピュータシステムの仕様を決定する必要がある。その後、我々の持っている技術を使ってシステムの試作・開発を行ってくれるメーカーとの打ち合わせを行いつつ開発を進める。開発が終わると内部テストをした後に、現場(つまり銀行)に持ち込んで仕様通りに動作するかどうかのテストを行う。

それまではNTTの研究部門という事で、大学の先生方やメーカーの研究開発部門の研究者・技術者との学会等でのおつきあいしか知らなかった我々の多くにとっては、これは全く新しい経験であった。事業部門の連中は同じ技術畑とは言っても、考え方・発想がビジネス的である。試作・開発を行ってくれるメーカーの人たちも、先方から見ると我々がお客になるが、自分たちの利益という観点から仕事をし意見を述べるので、我々の意見と常にマッチする訳ではない。

さらには、システムを現場に持ち込んでテストをすると、時には銀行側の人たちと会議を持つ必要がある。こうなると文系の人たちが多くなるので、なかなか意見が噛み合ない事が生じる。しかもこちらから見ると先方はお客様になるので、無理難題を言われても基本的には受け身の対応をせざるを得ない。このような生活が連日のように深夜まで続く訳である。当然ストレスがたまる。しかし同時に我々のグループの皆が同じ経験を共有しているため、グループ内の連帯感は高まる。

幸いにして実用化は成功し、電話から音声で残高の確認や振込の要求を音声で行うと、コンピュータがそれを認識して合成音声で回答してくれるというシステムが稼働し始めた。このサービスは「アンサー」と呼ばれ、音声認識を実際の商用のサービスに使ったものとしては世界最初のものとなった。一時期は年間数百億円の売り上げがあったと聞いている。

ただ残念ながら、その後しばらくするとパソコンが本格的に普及して、キーボードからの入力が普及しはじめた。音声で入力する場合は、人間の音声をコンピュータが正しく認識できない事が良く生じ、サービスを使うユーザが何度も電話に向かってしゃべり直さなければならないという事が生じる。この音声認識技術の持つ弱点のため、徐々に電話機からの音声による入力に基づいたサービスはパソコンで置き換えられてしまった。ともかくも、世界で最初のシステムを開発したという自負心が連帯感を生み、現在に至るまでこの会を存続させているのだと思われる。

当時のメンバーは20代、30代の働き盛りだったが、現在はいずれも50代から60代になっている。NTTの本体に残っているのはほんの一握りで、NTTのグループ会社、NTTの子会社、さらにはメーカー、大学等に籍が移っている。もちろん既に退職している人も多い。しかしながら、会えば一瞬にして当時の思い出や雰囲気がよみがえる。

もちろん連帯感といっても、仕事の上では上司・部下の関係があるので、当時はいろいろと人間関係の問題もあったのだが、今となってはそれは皆昔の話、中高年の親父達が嬉々として昔話しに興じているのはなかなかいいものである。



NTT横須賀研究所時代の同僚達との飲み会のスナップ