シンガポール通信ー3D映画「アバター」2

前回の続きとして、「アバター」の内容に関する感想を。

アバター」はジェームス・キャメロン監督の映画ということで期待していたし、脚本をそれだけで評価するとすれば決して悪い出来ではない。しかしながら、ストーリー全体や細部の設定に関して、宮崎アニメを中心に他の映画のコピーの部分が多いため、それらのアニメ・映画を知っている人にとってはその類似性の方に関心が移って、全体のストーリーに没入するのが困難であったというのが私の印象である。

ストーリーの全体は以下のようなものである。人類にとって価値のある金属の鉱脈が豊富な惑星パンドラに、その金属を採掘することを狙って人類が進出する。ところがその惑星には既に先住民族ナヴィが住んでおり、彼等が神聖視し、そこに住んでいる大木の地下に鉱脈が存在している。

そこで、人間達はナヴィと人間の遺伝子からナヴィそっくりな生物をバイオ技術で作り出し、それを人間がアバターとしてコントロールし、先住民の弱点などの情報を探り出し、先住民を駆逐し鉱脈の採掘を行おうとしている。主人公ジェイクたちは、自分のアバターをコントロールしてナヴィの族長の娘ネイティリを通してナヴィに近づく。ところがジェイクは、ネイティリに恋をすると共に、彼女を通してナヴィと自然との共生を学びそれに共感し、ナヴィの側に立って人間と対決することを決意する、とまあざっとこんなところである。

まずこのパンドラという惑星の世界観であるが、きわめて宮崎駿色の強いものである。動物、植物、そしてナヴィが共生しており、ナヴィが植物とも意識を共有しあえる世界というのは「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」の世界観そのものということができる。ナヴィも含めたパンドラの自然と人間との対立という図式は「もののけ姫」そのものであろう。またパンドラの空には翼を持った竜が住む世界が浮かんでいる。この風景は「天空の城ラピュタ」のイメージをそのままコピーしているようだ。

もちろん他の作品のイメージに触発を受けそれを自分の世界に持ち込むことは問題ないが、あくまでキャメロン独自の世界が構築されていることが必要であろう。ナヴィと植物が触手を絡ませ合って意識を通じ合っている場面、空に浮かぶ世界などは宮崎駿の世界をそのまま持ち込んでいるようで、まだキャメロン独自の世界にはなりきっていないという感じを持つ。

また主人公達が自分のアバターと意識をシンクロさせ、アバターの中に意識を移して行く場面などは、どうしても「マトリックス」さらには「エヴァンゲリオン」との類似性を感じさせてしまう。また、人間が自分自身の動きでコントロールするロボットは、「ガンダム」「マトリックス」に出てくるロボットときわめて類似している。また後半、人間対ナヴィの戦いになりナヴィが追いつめられたところで、パンドラの動物達に代表される自然がナヴィの味方として立ち上がり、人間を打ち破るシーンは、「ロード・オブ・ザ・リング」のストーリーと酷似している。さらに翼を持った竜をナヴィが飼いならすというのも、SFで何度もお目にかかるシーンである。私は「バーンの竜騎士」を思い浮かべてしまった。

再度言うが、他の作品のイメージを借用することは基本的には問題はない。むしろそれを利用しながら、独自の世界を描けることが出来ればそれでいいわけである。しかし果たしてキャメロン独自の世界観は描けているだろうか。残念ながら私が持ったのは、宮崎アニメはじめ他のアニメ・映画の種々のシーンがそのまま消化されずに用いられており、それが観客がストーリーの世界に没入するのを妨げているという印象である。タイタニック号の沈没という事件をラブストーリーにまで高めることに成功したキャメロンの「タイタニック」にきわめて強い感動を感じ、同じようなものを期待したが故に、今回は少し失望したというのが正直な私の感想である。

そして残念ながら、宮崎アニメの持っている全体としての世界観の調和がこの作品ではまだ実現されていない。後半の人間対ナヴィの戦いの場面での人間側の武器・攻撃方法の描き方はまさにハリウッドのアクション映画そのものであって、それまでこの映画が持っていたある種の調和が破られ醜悪な感じを抱かせる。つまり宮崎アニメの世界観とハリウッドのアクション映画を混ぜ合わせただけという感覚を抱かせるのである。

また主人公ジェイクが最初人間側に立ちながら、徐々にナヴィ陣営に共感が移って行く際の心の葛藤も十分描ききれていない。人間側への忠誠心とナヴィへの共感がいわば何の問題もなく同居しており、ある瞬間にとつぜんナヴィの人々に対し「人間に対決して立ち上がろう」と叫ぶのである。このある種の能天気ぶりも主人公への感情移入を妨げる。

最もうれしかったのは、ジェイクの上官(指導者?)として、ジェイクと共にナヴィ側に立つ決断をする女性をシガニー・ウィーバーが演じていることである。彼女は「エイリアン」シリーズで男勝りの女性を演じ一躍有名になったが、最近見かけないのでどうなったのかなと心配していた。元気そうで何よりである。すでに60歳であるが、美しく年を取っているという印象を受けた。美しく年を取っている女性を見るのは良いものである。