シンガポール通信ー3D映画「アバター」

立体(3D)映画が最近話題を集めている。昨日、立体映画「アバター」を鑑賞して来た。今回はその感想を述べたい。立体映画に関する感想と「アバター」に関する感想の2つがあるが、まずは立体映画の感想を。

映画を立体に見せる仕組みはそれほど複雑ではない。人間にとって対象物が立体に見えるのは、左目と右目で見える映像が少し異なるためで、それを頭の中で統合することにより立体に見える訳である。したがって、映画を立体にするためには、2台の映写機を使い、左目用と右目用の映像をスクリーンに映し出す。左目には左目用の映像が右目には右目用の映像が見える機能を持った特殊な眼鏡をかけることにより、映画を立体で楽しむことが出来る。

立体映画のコンセプトは特に新しいものではなくて、これまでもテーマパークやIMAXと呼ばれる専用の映画館で上映されて来た。テーマパークでは、どちらかというとストーリーを見せるというよりは、立体感を誇張した映像をイベントとして提示することに重点を置いているようである。一方IMAXでは、テーマパーク的な見せ方と同時に、ストーリーに重点を置いた映画を上映することも行って来た。

さて、既にこのように立体映画と言う概念があり、すでにそれが上映される状況も用意されているとしたら、今話題となっている立体映画は何が新しいのだろう。と考えると、どうも提供側、興行側の意図が透けて見えてくるようである。

最近、映画が従来のフィルムを用いた映画からディジタル映画に変わりつつある。ディジタル映画にするためには、当然映写機をディジタル用に更新する必要がある。フィルム型の映写機であれば、左目用と右目用の2台の映写機の映像の同期など、立体映画を提供するには困難な問題がある。それに対し、ディジタル型であればそれらの問題がないため、立体映画用の映写機は通常の映写機と比較してそれほど高価ではないと考えられる。

したがって、ディジタル映写機を導入する際、立体映画用映写機にしておけば、立体映画という付加価値をつけることにより、通常より高価な鑑賞料金を来館者から徴収することが出来る。これが提供側の論理であろう。しかしこれはあくまで提供側の論理である。

さて問題は、我々鑑賞者側にとってメリットはあるだろうか、そしてその結果として立体映画は普及するだろうかという点である。結論から言うと、私は鑑賞者にとってのメリットが明確でなく、そのため立体映画は普及しないと予想する。

まず、問題は特殊眼鏡を付けることが必要なことである。映画はエンタテインメントであり、ゆったりと座席に身を沈め映画を楽しみたい。その時に眼鏡をかける必要があるのはなんとも面倒である。しかもすべての人に共通のサイズなので、ときおり眼鏡がずれてくるのを直す必要が出てくる。それが映像に没入するのを妨げてしまう。

それを補うだけのメリットが立体映画にあるだろうか。テーマパークなどでは、あたかも目の前に映像が飛び出してくれるような効果を狙った立体感を強調した映像を提供している。しかし立体感を強調した映像は、長時間見ていると目が疲れてくる。したがって、2時間もしくはそれ以上の長時間を要する映画の場合は、立体感を抑える必要がある。確かに私の見た「アバター」でも立体感は抑えられており、そういえば立体だったかという程度の立体感である。

立体映像を提供するというメリットを宣伝しておきながら、実際には立体感が抑えられているのであれば、立体映像であるメリットを殺していることになる。私にとっても、わざわざ特殊眼鏡をかけてまでこのような映像を見るメリットは感じられなかった。これは立体映像が本来抱えている矛盾点であり、それがIMAXがこれまで普及してこなかった最大の理由ではないか。それを比較的手軽に映画館が設備を導入できるようになったからといってユーザに押し付けてみても、普及はしないだろうというのが私の予測である。