シンガポール通信ー京都の魅力

京都の魅力はどこにあるのだろうか。すでに書き尽くされ、語り尽くされたテーマではあるが、私なりに考えこのブログで少しずつ書いていきたい。

京都の町の外観は、歴史的建造物を除くと平凡な地方都市に過ぎない。京都風の町家が並んでいたかっての時代はともかく、現在では中低層のビルと木造建築が混在し、決して美しいとは言えない外見である。私は大学の学生時代6年間を京都で過ごしたが、その頃は決して京都が好きではなかった。

むしろ、現代の京都の町の外観は私には醜悪に映った。なぜ京都の人々は、このような平凡な町を歴史的な町として国内はもとより国外の人々にも自慢出来るのか理解できなかった。パリの町並みに代表されるように、ヨーロッパの歴史的な都市が歴史を重視した整然とした町並みを保存しているのと比較すると、なおさらそのような感覚は強まった。

現在でも決して京都の町が美しいとは思わない。しかし、この町並みと歴史的な建造物の混在が京都のある種の魅力を作り出しているのではと思うようになった。そのように思うようになった1つのエピソードを紹介したい。

関西学院大学の教授をしていた頃、文科省補助金を受けて、アンというフランス人の女性研究者が1年間私の研究室に研究員として滞在したことがあった。彼女はなかなかの美人であり、しかも控えめでシャイで日本人的な性格をしていたこともあり、私の研究室で学生の間で人気者であった。残念ながら既に結婚しており、ソフト開発会社で働いているご主人が、在宅勤務形態を取ることを認めてもらい彼女と一緒に日本に来ていたが。

ある日、彼女が京大で行われる情報処理関連のワークショップに出席したいと言って来た。私にとっても興味深そうなワークショップであったため、それでは一緒に行こうと言うことになり、私の車に彼女を乗せて出かけることとした。私は当時京都に住んでおり、兵庫県三田市関学のキャンパスまで車で通勤していたので、ちょうど私にとっては帰り道である。

中国自動車道名神高速道を通って京都南インターでおり、国道1号線に沿って北上する。既に京都の市街に入っているが、上に述べたようにごく平凡な町並みである。私は、アンとこれから出席するワークショップのことなどを話し合いながら運転していた。

やがて1号線は東西にのびる九条通りにぶつかり、1号線は九条通りに合流して右折する。道路に沿って右折すると、突如という形で東寺の五重塔が視界に飛び込んでくる。その時である、アンがはっと息をのんだ。私は、車を運転しているので、彼女の方を見ていた訳ではない。しかし彼女が文字通り息をのんだことは私にはっきりとわかった。多分、目を見開き「あっ」と小声を上げたのであろう。ともかく車内の空気が一瞬で変わった。

東寺は世界遺産に指定されており、確かに東寺の五重塔にはそれだけでも人を圧倒させる存在感を持っている。しかし、それが平凡な日本の地方都市的な町並みの中から突如として現れることによって、その存在感は倍増、三倍増する。アンは純粋のパリっ子である。パリの歴史的建造物には子供のことからなじみであろう。しかしそれでも、このような東寺五重塔との出会いは、彼女に息をのむほどの強いショックを与えたのである。

たしかに、パリの町は町中に点在する歴史的建造物とうまくマッチするように町並みが設計されている。しかし、それらの建造物がまわりの町並みとあまりにもうまくマッチしていることが、それらの持つ存在感を減じている可能性もある。

パリの例は反面教師的ではあるが、京都の町並みと歴史的建造物は、別の意味で観光客に強い印象を与えるうまいマッチングを実現しているのかもしれない。