シンガポール通信ーサンタクロース

今朝関空着の夜行便でシンガポールから一時帰国した。さすがに暖かいシンガポールから来ると日本は寒い。しかし、ある意味でピリッとするというか、かえって気持ちが引き締まるのを感じる。この季節感はなかなか良いものである。でも例年の寒くて凍え上がるという温度ではない。多分例年のこの時期より暖かいのだろう。地球温暖化の影響が現れているのだろうか。

今日は12月25日、クリスマスである。昨夜のクリスマスイブは日本ではどうだったのだろう。かってクリスマスイブというと、友人や会社の同僚とパーティで大騒ぎをし、翌日のクリスマスはケーキの大安売りというのが日常的な風景であった。それが、普通に家庭でちょっとしたバーティを行う家庭的イベントなっているようである。

これが本来のクリスマスの過ごし方なのであろうが、キリスト教の信者でない多くの日本人が、キリスト教的クリスマスを過ごすようになったというのも奇妙なものである。そして子供達は、あいわらずクリスマスイブの夜サンタクロースからプレゼントをもらっているのだろうか。

クリスマスという風習が日本に入って来たのはいつ頃だろうか。あまり戦前にそのような風習があったとは思われないから、やはり戦後であろう。その割には、日本で一般に広まるのは早かったような気がする。私の小学生時代である1950年代にすでにクリスマスの風習、特にサンタクロースからプレゼントをもらう風習は一般になっていた。(米国文化が日本に直輸入された時期が終戦後しばらく続いたことはブログの別の記事に書いた。)

クリスマスの数日前から、プレゼントを紙に書いて両親に渡し、サンタクロースに心の中でお願いしておく。クリスマスイブの夜は期待に胸を膨らませながら、早めに就寝する。そうすると翌日クリスマスの朝に、枕もとにプレゼントがおいてある。あっ、今年もサンタクロースが来てくれたという喜びで胸がいっぱいになる。子供心にも、クリスマスというのは正月と並んで特別なイベントであった。

小学校の低学年は、そろそろ世の中のことに関心が向かい始める時期である。それまでは、世の中の種々の事柄に対し、なぜそうなるのかに関して何の疑いも持たなかったのに、なぜだろうと疑問を持ち始める。そして、世の中はそれなりの仕組みがあって、多くのことがその仕組みによって動いていることを知り始める。そして同時に、世の中がすべて自分のために動いているのではなく、自分というのは多くの人々の一人に過ぎないという客観的な自分を認識し始める時期である。

しかし、もちろんすべてが原因と結果で説明できる訳ではない。いくつかのことは、よくわからないがなぜかそうなるという、いわば神秘のベールに包まれた出来事として残っている。そして私にとっては、サンタクロースもそのような神秘的な出来事の一つであった。なぜそうかは別として、説明できない神秘的なことがあってもいいんじゃないかという無意識の考え方が私たちの心の中にあるのだろうか。まさに「世の中にはまだ我々の哲学で計り知れない出来事が多い」(ハムレット)という捉え方である。

しかしそのような幸福な時代は長くは続かない。ある日、友達数人と連れ立って学校から帰る途中のことであった。私の前を歩いていた二人の友達がひそひそ声で、「本当はサンタクロースはいなくて、お父さん、お母さんがサンタなんだ」と話し合っているのが耳に入った。その時の私の感覚はどのようなものだったのか。たしかに、それまで信じていたものが虚構であったことを知ったのは、大きなショックであった。しかし同時に、「やはりそうか」という納得というか、別の言い方をするとそのようなことを薄々予感してたような気持ちを持ったことをおぼえている。

人はそのようにして子供時代を卒業し大人になって行くのだろう。次々に神秘と考えていたものはそのベールをはぎとられ当たり前の事柄になって行く。今我々大人にとって神秘は残されているだろうか。ほとんど残されていないといえるのではないか。しかし同時に、人間は世界にある種の神秘性を求めるものかもしれない。それが、タネがあると分かっているマジックに驚嘆したり、オカルト的なものに大きな興味を持ったりはまったりする理由なのだろう。

その意味で、オカルト的なものに興味を持つのは人間の心情として自然なのかもしれない。しかし、それは心情的なものにとどめるべきであろう。それに無理に理屈を求めたり、もしくは他人にそれを信じることを押し付けるのは、知的行為とはいえないだろう。