シンガポール通信ー関西と関東の文化差

シンガポールに住んでいると、日本とシンガポールの習慣の違い、そして文化の違いなどを感じ、考えることがある。それらについてはまた追々書いていくこととしたいが、そのためにはまず日本国内における文化差、特に東京圏と大阪圏の文化差について考える必要がある。まずは、私が未だに記憶している強烈な体験から述べたい。

私は、大学の4年間、大学院の2年間を京都で過ごした後、東京のNTTの研究所に就職した。東京は当時まだ多くの日本人にとって、日本の最先端として世界に伍して行ける都市としてあこがれの対象であった。その東京で暮らせるというので、ある種の期待を胸にして東京暮らしを始めた訳である。

暮らし始めて数日たった頃であろうか。部屋の鍵が必要になったので、近所のスーパーマーケットに買いに行った。カギの売り場が見つからないので、何の気なしに店員に「カギはありますか?」と尋ねた。ところが店員は怪訝そうな顔で「えっ」と聞き返してくる。おかしいな、私の声が小さかったので伝わらなかったのかなと考え、再度「カギはありますか?」と尋ねた。ところが店員はますます怪訝そうな顔になって、再度「えっ」と聞き返して来た。

私は少しパニックになってしまった。どうして私の日本語が伝わらないのだろう。私の日本語がおかしいのだろうか。そんなはずはない、これまで私の日本語で十分意思疎通出来て来たではないか。しかもこんなに単純な文章ではないか。もしかして、ここは日本ではなくて私はいつのまにかテレポートしてどこか違う惑星にいるのだろうか、などととんでもないことまで考えてしまった。

しかし、鍵を買うには相手に自分の意志を伝えるしかない、そしてそれには言語を使うしかない。と考えて、私は意を決して「カギはありますか?」と3度目の同じ質問をした。それに対し先方は、相変わらずわからないという顔をしながら「キーのことですか?」と問い返してきた。

「ええ、カギです。」「ああ、かぎのことですね。」私はやっと自分の意志が通じたという安堵感と同時に、ある種の屈辱感を感じた。私が日本語で尋ねている問いに対し英語の単語で答えを返えしてくることは、先方が私の日本語が不正確であることを、言外に匂わせているではないか。

その時、「あっ、関西と関東のアクセントの違いだ」という考えが頭の中にひらめいた。そう、関西と関東は特に短い単語に関してアクセントが逆になっているものが多いのである。上の問答で言うと、私の問いかけの「カギ」は先頭にアクセントがある。それに対し店員の「かぎ」は後ろにアクセントがある。

したがって、コミュニケーションの観点からして私は2つのミスを犯したことになる。1つは相手にとって正しくないアクセントで話しかけたことである。言語においては、発音が重要な役割を果たしている。これは英語の場合にもよくあることで、日本人はlとrの発音の区別が下手であると指摘されており、そのために欧米人との意思疎通がうまく行かない場合があると良く言われる。私も”Give me receipt?”と言って相手に怪訝そうな顔をされ、あっ、これはrとlの発音を間違えたと気づき、意識的に巻き舌にしてreceiptを発音して相手に通じた経験が何度かある。

もう1つは単純な文章だからわかるはずであると思い込んだことである。これは逆で、単純な文章だからこそアクセントの位置が文章理解に重要な意味を持っているのである。これがもっと長い会話のやり取りの中であれば、相手も特に問題なく意味を理解できたであろう。英語の場合でも長い会話のやり取りや文章の中では、rとlが少々発音が紛らわしかろうと、十分通じるのである。

とはいいながら、単純な日本語の単語が同じ日本人に通じなかったこと、しかも相手が確認のため、お互いにとって外国語である英語の単語を使うことによって、私に私の誤りを指摘したことは、それ以降私にとってある種のトラウマになった。特に、NTTの研究所で私が配属されたのが言語の研究を行う研究室であり、時折単語や文章の発声データの録音に協力させられたことがあり、その度に「君の発音はおかしいね」などと指摘されたものであるから、なおさらである。

したがって、私は自分の関西弁のアクセントを関東弁のアクセントに変えようと努力をした。ルールに気づいてしまえば、それほど難しい問題ではないので、半年もするとある程度関東アクセントに切り替えることが出来た。毎日の言語環境は我々のコミュニケーションに大きな影響を持つので、私の周囲の関西出身者の多くは、徐々に関東弁に変わって行った。ところが、観察していると、関西出身者でも大阪の人間だけは頑として大阪弁を堅持して変えようとしない。

大阪弁の持つ強いアイデンティティというのは、それ以降も種々の場で種々の人を観察していて感じたことである。シンガポール特有の英語方言、いわゆるシングリッシュに関しても同様のことを感じることがある。またそのことは別途述べたい。