シンガポール通信ーツキの法則

ツキつまり運というのはあるのだろうか。「今年はツイていることが多かった」「ちくしょー、ツイていない」などは、私たちが日常よく使う言葉である。囲碁などのテーブルゲームは実力が物を言う世界であるが、例えば麻雀は実力と共にツキが重要な要素を占めるゲーム(もしくはギャンブル)である。麻雀の世界ではよくツキが話題にされる。

ツキでgoogleを引いてみると、ツキに関する多くの本が既に出版されている。したがって、私の考えも既に本に書いてあることかもしれないが、ともかく記しておこう。

ツキ、いいかえると運は、偶然性に支配される事象の生起に関して使う言葉である。従って確率論が支配する世界である。その最も単純なものが、さいころの目が偶数(丁)か奇数(半)かで勝ち負けを決める丁半の世界であろう。

丁半はやくざ映画などでも我々におなじみであるが、いくつか興味深い点がある。丁半をいかさまなどの人為的な面をのぞいて純粋に確率ゲームと考えると、偶数の出る確率と奇数の出る確率は50%づつである。人間が論理的な生物であると考えると、確率の大きい方に掛けるべきなので、そうすると50%づつの場合は判断が出来ないはずである。それなのにどうして掛けることが出来るのだろう。ここで既に、人間の行動が論理的とは限らないという良い例を見いだすことが出来る。

もう1つは、我々自身も時にそう考えがちであるが、丁が連続して出ると、偶然の法則からしてそろそろ半が出るだろうと考え、半に掛けがちなことである。しかしこれは確率論を誤って解釈していることになる。毎回振るさいころは基本的には独立の出来事である。これを確率論では独立事象という。独立事象の場合は、毎回の出来事はこれまでの経緯に影響されないから、あくまで丁、半の出る確率は50%である。したがって、丁が連続して出たからと言って次に半が出やすいことはない。あくまで確率は半々である。

しかしながら、人間はどうもある事象が連続して起こると、確率の法則からして次は逆の事象が起こるはずであると考えやすい。どうもここにツキの意味するところがあるようである。

上に述べたように、丁半の出る確率は50%づつであるとすると、どうも人間はある短い時間間隔をとっても丁と半がほぼ50%づつ出るはずであると考えてしまうようである。しかし、確率論はそれについては何も言っていない。確率論に「大数の法則」というのがある。ある確率事象をきわめて長時間観察すると、実際に生じる事象の数は確率に等しくなるという法則である。つまり、長時間経過すると丁の数と半の数は等しくなるのである。

しかし、短時間の場合にはそれは保証されない。ところが人間の方は短時間でも「大数の法則」が成り立つと考えがちである。そのため、丁が連続して出ることは十分起こりうることであるのに、その時丁に連続して掛けている人に対し、そろそろ半が出るかと思い半に掛ける人が「ちくしょー、あいつツイているな」と思いがちなのである。

したがって、短時間における大数の法則からの乖離という意味で、ツキはたしかに存在する。しかしそれ自身は人間が制御できる事柄ではない。(再度言うが、当然いかさまなどは除いてのことである。)しかしながら、人間のこの錯覚・思い込みを利用することはできる。確率論をクールに頭に置きながら、短時間における大数の法則からの乖離をうまく利用してゲームをできる人を、「ツイている」「ツキを呼べる」などと呼ぶのだろう。私は一時期麻雀にこっていた時期もあるので、例として麻雀におけるツキを別の機会に論じたい。