シンガポール通信ー天の川2

何年か前に、少年時代以来初めて天の川に再会した経験がある。それは私にとって、ほぼ半世紀ぶりの経験であった。チリのサンチャゴで開かれた国際会議に出席した際、会議の合間に数日余裕があったので、イースター等に観光に出かけたことがある。イースター島はモアイ像で有名な島である。モアイの話はまた別の機会にするとして、私が最も感動したのは天の川に出会ったことである。

夕食の後島のバーでビールなどを楽しんだ後、ホテルに戻る途中夜空を眺めていると、普段は見られない多くの星が見える。さすがに絶海の孤島だから空気がきれいなのだなと何となく思っていたが、そのうちになんだかうす白い帯のようなものが見える。天の川を数十年見なかったこともあって最初は何なのか分からなかったが、そのうち「あっ、天の川じゃないか」という考えがひらめいた。興奮して同行していた妻に「天の川だ」と教えてやったが、「ふーん」と言うだけで反応が鈍い。もちろん天の川がなんであるかは知識として知っているのであろうが、天の川を見たことがないので、目の前にある現実と知識が結びつかない、いいかえれば現実の持つすごさといったものがのがすぐには理解できないのであろう。

現在京大で行われている「映像の未来」という国際会議に出席しているが、映像(イメージ)の持つ力が講演の話題に何度も取り上げられている。映像が強い力を持つが故に、誤った受け取られ方をすることや、映像を撮る側と撮られる側の関係などが話題になっている。上の場合は、文字による知識と映像として眼前に与えられた現実がすぐに結びつかない、言い換えるとその間に距離があることを示している例と思うが、映像と人との関係に関して興味深いテーマを提供してくれるかもしれない。

私が関学の先生をしていた時に、オランダの大学から1年間だけ研究生(ポスドク)としてベン・サレム氏が私の研究室に滞在していたことがある。彼と話している時たまたま天の川の話になった。彼も当然天の川を見た経験はないだろうと私は独り決めしていたが、なんと彼は天の川を見た経験があると言うのである。彼はアルジェリアの豪族の出であるが、彼によれば、「少年の頃家族とサハラ砂漠に車で小旅行に出かけた際、車が故障して、家族と共に徹夜で満天の星空と天の川の下を町まで歩いて戻った経験がある」とのことであった。彼は元々かなりロマンチストであるが、なんともロマンチックな天の川との出会いである。

世界レベルでの温暖化や空気の汚染が言われるようになって久しい。現在、京都大学の国際会議に出席しているが、冷え込むことで有名な京都にしてはとても12月とは思えない温和な気候である。こういうところにそれらの影響が現れている。と同時に、私にとってそれは天の川を見ることが出来なくなったという経験と強く結びついている。