シンガポール通信ー天の川1

天の川を見ることがほとんどなくなって久しい。最近の若い人たちは天の川を見たことのない人が大半であろう。天の川を見たことのない人たちにとって、七夕はどのような意味を持つのだろう。天の川によって隔てられている織姫(織女星)と彦星(牽牛星)が年に一回だけ出会えるのが七夕であるという伝説も、天の川を見ながら想像するからこそロマンチックに感じるのではないかと思うのだが。

私の子供の頃は、大都市はいざ知らず少し田舎に行けば、夜になると天の川はごく普通に見ることが出来た。「満天の星空」とか「宝石をちりばめたような星空」とか「星の降るような星空」とかいろいろな表現がされるが、夜になるとまさにこのような表現がぴったりするような風景が夜空を飾っていた。そのような星空を眺めていると、宇宙の深淵を眺めているという感覚を持つことが出来たし、また宇宙に果てがあるのだろうか、もし果てがあるとするとしたらその先には何があるのだろうか、などのある意味で哲学的な考え方が頭の中にごく自然に生じて来たものである。

最近は星空を見ることもまれになった。晴れているのに天空がほぼ真っ黒で、火星、金星、北極星などの明るい光を放っている少数の星だけしか見えないのが通常になって来ているのではないだろうか。自分の目で宇宙の神秘に触れることが出来るという機会を持てなくなったという意味で、最近の若者は不幸かもしれない。

それに対し、私の子供の頃は上に述べたような満天の星空を毎晩のように見ることが出来た。そしてその星空を横切るように、ひときわ密度の高い星の集団が、あたかも川のように地平から反対側の地平までをつないでいるのを見ることが出来た。これが天の川である。密度の高い星の集団はそれぞれの星が自分の周囲を照らし合い、全体としてあたかも星の集団というより白い帯のように見えたものである。たしかに天の川という表現は的確な表現であるし、欧米におけるMilky Wayという表現も天の川に劣らずすばらしい表現であると思う.

良く知られているように、天の川は太陽系がその端に位置する銀河系の中心部を地球から見たものである。星団を横から見ると中央が密度が高く(明るく)、周辺に行くほど密度が低く(暗く)なる、グラデーションを持った帯のように見えていいはずである。しかしながら、なぜかは別として、天の川は周辺との境界が明確でいかにも川のようにみえる。何ともロマンチックな命名である。(続く)