シンガポール通信ー米国の衰退1

前回のブログでは、米国の力の低下を論じるつもりが、脇道にそれてしまった。さて、米国の力は衰えているのだろうか。私は米国の産業や経済に詳しい訳ではないので、客観的な答えが出せる訳ではない。従って以下の意見はあくまでも私の印象に基づいた主観的な意見であることを最初にことわっておきたい。

私が米国を初めて訪れたのは1970年代の後半である。すでに40年近く昔になる。その後は、数年に一度は米国を訪れている。その頃は私もまだ若かったし「何でも見てやろう」というのが日本の時代の精神でもあったので、2回目の訪問時にはレンタカーを借りてドライブを楽しんだことをおぼえている。米国を訪れて私が最も強力な印象というよりショックを受けたのは、社会的インフラが日本に比較して飛躍的に整備されていることであった。

いくつか例を挙げよう。例えば、1970年代後半にはクレジットカードは当時の米国では通常の支払いに使う手段としてすでに定着していた。特にホテルでの支払いは、クレジットカードが通常の手段になっていた。日本では、1970年代にはクレジットカードの導入が始まっていたもののまだまだ一般的とは言えず、海外旅行の際は現金もしくはトラベラーズチェックを用いるのが通常であった。私自身もクレジットカードの存在を知らず、ホテルでVisaを持っていないのかと聞かれ、ビザのことかと誤解したことをおぼえている。

マクドナルドに代表されるファストフード店は米国では庶民が手軽に食事をする場として定着していたが、日本ではまだまだ新しいレストラン形態で、むしろマクドナルドで食事をすることは一種のファッション性を持っていた。

郊外型の大型ショッピングセンターも米国ではすでに社会インフラとして定着していたが、日本ではこれから導入されようとしていた形態である。米国でドライブを楽しんでいる時にとある郊外型ショッピングセンターに行き当たったので、土産物を買おうとして何気なく車を駐車場に止めたことがある。ところが買い物が終わり帰ろうとして、自分の車が止めていた場所に見当たらない。後で気づいたのであるが、ショッピングセンターの周囲全体が駐車場で、千台以上の車を収容可能になっているのである。しかも入り口が複数個ある。したがって、どの入り口に近いどの駐車場に車を止めたかを正確に記憶しておく必要があるのである。日本型の高々数十台の車を収容できる駐車場を持った小型の郊外店に慣れていた私は、自分の車を探し出すのに数時間を要したことをおぼえている。

そして何よりも驚いたのは整備された高速道路網とレンタカーに代表される車社会のインフラである。すべての主要都市が片側2〜4車線の高速道路でつながれている。しかも大都市に近づくと車線数が増え、最後には片側10車線程度にもなる。反対車線がないのでどこにあるのかと探していると、時には丘を越えた向こう側に反対車線があったりする。このような高速道路をドライブしていると、米国の力というものを実感したものである。また、いづれの空港にもレンタカーが整備されており、旅行客も気軽にレンタカーを借り入れて旅行を楽しんでいた。

これらはすべて1970年代後半から1980年代の私の米国を訪問した際の経験に基づくものである。その後も私がドライブが好きなこともあって、米国訪問の際にはレンタカーでのドライブを楽しむことにしていた。ところが、今年の米国訪問の際にレンタカーを借りて、ピッツバーグ、ロサンゼルスなどでのドライブを楽しんだ際に、それまでと異なる感覚を持った。
それは40年近く昔と現在の米国で何が違うのだろうという疑問である。そして気づいたのは、上記のような社会的インフラに関しては、1970年代の米国はすでに成熟の域に達していたということである。

逆に言うとそれ以降、基本的には何も変わっていない。キャッシュカードも、高速道路も、レンタカーも、郊外型ショッピングセンターも、当時と現在とで基本的には何も変わっていない。変化が起こっていないのである。これは米国の社会的インフラがすでに1970年代に完成されており、それ以降進歩がないことを示している。(続く)