シンガポール通信-トランプが行おうとしているのは「政治のビジネス化」である:3

トランプ米国新大統領が米国で実施しようとしている政治のビジネス化は、別の言葉で言うと「国家を企業としてみる」ということかもしれない。国家というのはこれまである一定の領土とその中に住む国民を持ち、国民の自由と基本人権を最大限保証しつつ最大多数の国民に最大の幸福を与えることを目的とする組織体と言えるだろう。

それに対して、企業は利益追求と組織の拡大を最大目的とし、その実現によって企業で働く人たちに富を還元することを目的とする組織体と言えるだろう。国家と企業の最大の相違は、国家が国民の幸福を追求するのに対して企業は企業自身の利益を追求することにある。国家の利益=国民の幸福であれば両者はほぼ一致するが、実際には必ずしもそうはいかない。国家が利益追求に走り国民の幸福を置き去りにすることもあるだろうし、逆に企業も利益追求以外にそこで働く従業員の幸福、いいかえれば従業員の雇用確保にも心を配る必要がある。

それ以外の大きな違いは、現在世界の大半の国家の形態である民主主義国家が国民の自由と基本人権を保証することを最大の目的としてあげているのに対して、企業は「従業員の自由と人権の保証」というのはその基本的な理念の中には含まれていないことである。もちろん通常は、自由と人権は企業の上位概念である国家が保証するものであり、企業はそれに関与しないという暗黙の了解があるのである。

しかし実はそのことは企業が「従業員の自由と権利の保証」という大きな縛りから解放されることを意味しており、企業がそれを考えなくてもすむが故に利益追求をとことん追求しがちなことを意味している。そのことがブラック企業とか過労死などの社会問題を生むことになっているのである。しかし反面「従業員の自由と権利の保証」に縛られずに利益追求を行えるということは、企業運営が単純化し効率化することでもある。

グローバル企業が安い労働力を求めて自在に生産拠点を発展途上国に移し、そのために企業の生産性を上げることができているのはそのことを示している。もっともそのために、国内における生産拠点の空洞化や雇用の縮小といった問題を生んでいるのであるが。

現在の米国で生じていることはまさにそのことではあるまいか。トランプが実行しようとしているのは、米国を一つの企業体として考え、国民をその企業の従業員として考え、米国という企業の利益追求を第一に考えることによって国民の幸福を実現しようということではあるまいか。トランプのいう「米国第一」「米国を再び偉大にする」「これまで忘れ去さられていた人たちが忘れ去られることは二度とない」という言葉は、そのことを意味していると取ることができる。これが「国家のビジネス化」の意味するところである。

このような考え方は、企業が利益追求を効率的に行えるのと同様に米国という国家が利益効率的に追求できることを意味している。トランプはそのような進め方によって「米国を再び偉大にする」ことが可能であると考えているのではあるまいか。

このような国家の問題点は、国家と企業の違いに関して上に述べたように、国民の自由と人権の保証がおざなりになりやすい点である。社会主義国家や共産主義国家も国家を一つの企業体と考えているということもできる。しかしこれらの国家は、国家の繁栄を第一として国民の自由と人権を厳しく抑えてきたが故に、国民からの反発が大きく国家の形態としては将来にわたっては存続不可能ではないかと考えられている。

国家を企業体として考え運営することに成功してきた国家としてはシンガポールが挙げられるだろう。シンガポールは、小国ながらアジアと欧米のハブという位置にあることを最大限に利用して、貿易によって富を築きそれを国民に還元することによって国民の幸福を実現してきた国家である。シンガポールは国家を企業として考えることより極めて効率的に国家の利益を追求することが可能となり、第二次大戦後の短期間の間に国民一人当たりのGDPでは日本を抜き先進国の中でも上位の位置を占めるようになってきたのは、よく知られているところである。

もちろん国家の利益を第一に考えるという政策の故に国民の自由や人権はある程度抑えられている。形式上は民主主義国家であり、国民の投票によって選ればれた議員による議会制度に基づいているとはいえ、実際には国家の独立に功のあったリー・クアン・ユーに率いられてきた「人民行動党」の一党独裁のような状況にある。政府に対するマスコミや国民の非難は厳しくチェックされており、悪い言い方をすると「明るい北朝鮮」などと揶揄されることもある。しかし国の豊かな富が還元されるが故に、国民は豊かで一見幸せそうである。

これは、豊かさを取るか自由と人権を取るかという極めて難しい問題である。トランプが「米国を再び偉大にする」という政策を強行に実行しようとすると、国民の自由と人権をある程度犠牲にせざるを得ないかもしれない。現在米国のマスコミや芸能界、学問分野などでトランプに対する非難の声が高まっているのは、これらの人々が「米国第一」という政策を実行する中で人々の自由と人権が制限されることを恐れているのではあるまいか。