シンガポール通信-アリス・ロバーツ「人類20万年 遥かなる旅路」:2

前回も書いたように現在の人類いわゆる現生人類は、ネアンデルタール人の祖先と約50万年前に分岐し、約20万年前に現在の私たちの形態に進化したと考えられている。アリス・ロバーツのこの著書は、20万年前に生まれたとされる現生人類がその後約7万年前にアフリカを出て世界に拡散していった歴史を、歴史上の重要な場所を訪れることによって追体験してみようというものである。

まず彼女は、現生人類の最も古い化石が発掘されたエチオピアのオモ遺跡を訪れる。オモ遺跡では、少し離れた場所から二体の人類の化石が発掘されている。これらはオモ1号・オモ2号と呼ばれている。これら二体の化石はいずれも科学的分析により、約20万年前のものであることがわかっている。ところが興味深いことに、このうちオモ1号は頭部の化石の形状から現生人類のものであると判断できるのに対して、オモ2号は旧人類(ホモ・ハイデルベルケンシス)の特徴を有しているのである。

このことは、人類が旧人類から現生人類へ徐々に進化するとともに、同時期に進化の異なる段階にあった複数の人類が共存していたことがわかる。複数の異なる人類が共存していたというのは奇妙に聞こえるが、現在でも現生人類はその住む場所によって肌の色や目の色が種々に異なっているが共存しているわけであり、進化の段階の異なった人類が共存していたというのも十分ありうることではなかろうか。

現生人類は約7万年前にアフリカを出て全世界に広がったのであるが、実はそのずっと以前に旧人類はアフリカを出てヨーロッパ、東南アジア、中国に移動しそこで進化した。ヨーロッパではネアンデルタール人となり、東南アジアではジャワ原人となり、中国では北京原人となったわけである。かって私が小学校や中学校などで人類の歴史を学んだ際には北京原人が現在の中国人や日本人の祖先であると学んだ記憶がある。当時の人類の進化に対する認識はそのようなものであったのだろう。

しかしその後の考古学や人類学の進歩により、現在ではこれらの旧人類はいずれも絶滅し、現在地球上に生存している人類はすべて7万年前にアフリカを離れてその後全世界に拡散した現生人類のみであるということがわかっている。

ネアンデルタール人ジャワ原人北京原人がなぜ絶滅したかはまだ十分に解明されたわけではないが、彼らが住んでいた地域にその後現生人類が移住してきたことが大きな理由であると考えられている。そのように書くと例えばヨーロッパに移住してきた現生人類がそこに住んでいたネアンデルタール人を戦い彼らを絶滅に追いやったという理解がされやすい。

しかしながらそのようなことはなくて、むしろその頃の地球が寒冷期にあり、氷河に覆われた地域が南下してきて生物の生存に適した地域が少なくなったことの方が大きな影響を与えたというのが、正しい言い方のようである。そのような過酷な環境においては、ネアンデルタール人より少し進んだ文化・技術を持っていた現生人類の方が、気候などの変化への適応が可能であって、過酷な環境を生き延びることができたのだろう。それに対して、ネアンデルタール人は気候の変化とともに徐々に南の方に追いやられ、そして最後には絶滅に追いやられたということなのだろう。

次に著者のアリス・ロバーツは南アフリカの別の重要な洞窟遺跡であるピナクルポイントを訪れる。ピナクルポイントでは人類の化石は発見されていない。しかしながらそこから発掘された石器などによって、そこに住んでいたのが現生人類であると考えられているとともに、貝などの化石によって彼らの生活状況が推測されるという意味で重要な遺跡である。

石器や貝の科学的分析などにより、そこに現生人類が住んでいたのは16万年前〜12万年前までであることがわかっている。現生人類が現れた20万年前からすこし降った時点から4万年の長期にわたってピナクルポイントの洞窟に彼らは住んでいたわけである。

貝が遺跡から発見されたということは、彼らが海洋資源を食料として利用していたことを示していることである。19万年前から12万年前前までは氷期であり、地球は冷たくかつ乾燥した気候が続いたと考えられる。生まれたばかりの現生人類はそのような過酷な環境に直面したわけである。

現生人類がその過酷な環境を生き延びることができたのは、環境に適応できたからであり、そしてその一つの証が海洋資源を食料として利用するという新しい文化を生み出したことである。それまで動物や植物などの陸生の食資源を利用していた現生人類が気候の変化に対応するために海洋資源を利用し始めたというのは、優れた環境への適応能力を持つという現生人類の能力を示すものである。

同時に興味深いのが赤色のオーカーが数多く見つかっていることである。これは彼らが赤色のオーカーを用いて顔や体に装飾を施した可能性があることを示している。もしくは想像を逞しくすると洞窟の壁に何かを描いたかもしれない。すなわち現生人類は誕生してそれほど時間が経たない間に原初の芸術を生み出しているということである。