シンガポール通信-中国の覇権主義を考える

さて、21世紀を混迷の時代とする可能性のあるもう一つの原因である中国の覇権主義について考えてみよう。

最近中国の覇権主義が話題になっている。覇権主義とは、自国の強大な力を背景として近隣諸国へ圧力をかけたり領土を拡大しようとする野望を推進することを示している。中国は、尖閣列島に関しては自国の領土であることを主張して日本に圧力をかけたり、フィリピンと領有権を争う南沙諸島では勝手に滑走路の建設を進め米国の反発をかうなどの行為を繰り返している。
中国は実際に自国の領土を拡大していこうとする野望を持っているのだろうか。これを確認するため少し面白い試みとして、過去において中国を支配した国家の面積を比較するという試みをしてみた。(でどころはWikipediaで、 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_largest_empiresを参照)

中国の代表的な歴史的国家の領土面積をまとめたものを表1に示した。また参考として中国以外の代表的な歴史的国家の領土面積をまとめたものを表2に示す。これをみると漢民族の支配した代表的な国家である漢・唐・明は、いずれも最大面積は550万平方キロ〜650万平方キロであって、ほぼ同じ大きさをしていることがわかる。現在の中華人民共和国は960万平方キロと例外的に大きいが、チベットが占める部分が大きくそれを除くと約750万平方キロであり、それまでの代表的な国家の大きさに比較すると少し大きいという程度である。


表1 中国の歴史的国家の領土面積


表2 他の広大な面積を有した国家


それに比較すると漢民族以外の民族による支配国家の面積はずっと大きい。その代表例がモンゴル帝国であり、その最盛期の面積は3300万平方キロである。これは歴代でみると植民地を含めて日の沈むところなしと豪語していたかっての大英帝国の面積3370万平方キロに匹敵する面積を誇っている。大英帝国の領土面積がこれまでの国家の最大面積であり、モンゴル帝国の面積はそれに次いで第2位である。

少し脱線するが、この表を見ていて興味深いのは、地中海世界を含めて欧州の広い範囲を支配したローマ帝国の最大版図の面積が約500万平方キロと、歴代中国の漢民族による支配国家に比較すると狭い面積しか有していないことである。私たちはどうしても、かってのローマ帝国が大帝国の中でもトップクラスの面積を持っていたと思いがちである。しかしながらこれはやはり、欧米文化に基づいた戦後の教育によって教え込まれたところが大きいのではないだろうか。これも、現在の世界が欧米の文化・科学技術によって支配されていることを示す一つの証拠ではないだろうか。

もう一つ興味深いのは、かっての大日本帝国が太平洋戦争で優位に戦いを進めていた1942年には740万平方キロの面積を有しており、歴代の世界国家の中でも面積の部分からみると16位とかなり上位に来ていることである。戦争という特殊な状況下の短い期間ではあっても、日本にも覇権主義の時代は存在していたわけである。このことはまた別の機会に論じたい。

さて歴代の漢民族による支配国家の面積がほぼ同じであるということは、中国が領土拡大という覇権主義の野望を必ずしも持っていなかったということを示してはいないだろうか。実はこのことを示す二つの事実がある。

一つは漢民族による支配国家が日本への領土拡大戦争を仕掛けてこなかったことである。日本に領土拡大戦争を仕掛けてきた唯一の国は、よく知られているように元である。モンゴル帝国とその後継国である元は漢民族ではなくモンゴル族の支配する国家であり、モンゴル帝国はしゃにむに領土拡大を進めた国家としてよく知られている。しかしながら漢民族の支配する歴代の中国国家はそのような覇権主義とは無縁であったと言えるのである。

もう一つは中国の外交政策の代表例である朝貢貿易である。朝貢貿易は中国が近隣の諸国と貿易を行う際に、周辺国が中国を支配国として認め貢ぎ物を捧げるという朝貢を行い、それに対して中国皇帝がみかえりに宝物を与えるという貿易形態である。

考えてみればまだろっこしい貿易形態である。それよりも相手の国を武力で支配し、上納金を取り立てた方が容易な政策のような気がする。朝貢貿易を求めた代表例は、明の時代に大規模な船団を組んで近隣の諸国を訪問し朝貢貿易を進めたいわゆる「鄭和の南海大遠征」である。

(続く)