シンガポール通信-ブログ再開

9月後半からいろいろなイベントが続き、なかなかブログを更新する時間がなかった。気がついてみると9月は全くブログを更新しておらず、すでに11月である。このブログは、私がシンガポールに移った翌年の2009年の12月から書き始めているので、すでに6年近くになっているが、全く書かなかった月というのは今回の2015年10月が始めてである。まだ今年の主なイベントが終了したわけではないが、時間を見つけて再開することとしたい。

ブログを書くことの意味はいろいろとあるが、私の場合は主としてシンガポール在住中に書きためたこのブログの内容をまとめて2014年春に「アジア化する世界」というタイトルの一般の人々向けの本にすることができたのが、最大の成果だろう。

その前のすでにシンガポールに移ってからの2010年にも、「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」というこれもまた一般の人々を対象とした本を出版したが、これはそれ以前の日本にいる間に準備していた原稿を本にまとめたものである。シンガポールに移る前に関西学院大学で教鞭をとっていた時に、1年生の学生を相手にコミュニケーションの変遷と技術、さらには社会、芸術、宗教などとの関係を論じたものである。

シンガポールに移ってから、現地の人々や教鞭をとっていたシンガポール国立大学の学生たちのコミュニケーションの仕方などを観察した結果に基づいて、「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」のいわば続編をまとめたものが「アジア化する世界」といえるだろう。

シンガポールに移る前は日本における特に若者のコミュニケーションの変遷を観察していたので、それをまとめたものが「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」だとすると、シンガポールに移って以降海外における観察をもとに書いたものが「アジア化する世界」であるともいえる。

シンガポールに移ってからはいわばよりグローバルな視点から新しいメディア(メールやFacebookなど)の出現によるコミュニケーションの変遷を観察したわけであるが、新しいメディアがいかにコミュニケーションのあり方を変えていっているかに関する基本的な考え方が変わったわけではない。むしろそれまでは日本を中心として観察していたコミュニケーションの変遷が、シンガポールでも同じように起こっていること、さらにはシンガポールにいる欧米人の間でも同じような変遷が生じていることに気がついた。

携帯電話(最近ではスマートホンといった方が通じやすいけれども)でメールやFacebookTwitterさらには最近であればLineを使ったコミュニケーションに多くの人々が夢中になっているという現象(まとめて「携帯文化」とでも言おうか)が、日本だけではなくてアジアさらには欧米に共通した現象であるというのが、私がシンガポールに移ってから気づいた大きな点である。

実は再読してみると「テクノロジーが変えるコミュニケーションの未来」にも、日本の若者を中心とした携帯文化が日本人だけの現象ではないだろうという記述は随所にあることはある。その意味では「携帯文化」がグローバルな現象であることはすでに日本にいた頃から私は予想していたのである。もっともシンガポールに移って現地の人々のコミュニケーションのあり方を観察することによってそれが確かであることを確かめられたのは大きな収穫であろう。

それだけならば「携帯文化はグローバルな現象である」という主張になって、これは多くのマスコミや識者がすでに指摘していることであろう。それに対して私が新しい視点を導入することができたとしたら、それは携帯文化を日本もしくはアジアを発祥とするものであり、その文化が欧米にも広がってきていることをもって「欧米人の行動様式がアジア化してきている」という主張にまで持ってきたということであろう。

いま世の中は「グローバル化」というキーワードで溢れている。グローバル化とは何かというと欧米的な考え方、主張の仕方そしてそれを表現するための英語力を身につけることによって欧米人と対等に渡り合う力を身につける必要があるということである。それは言い換えると欧米の文化・技術をこれまで以上に取り入れる必要があるという主張になる。

これは日本が明治の開国以来必死で取り組んできたことであり、何を今更という気がしなくもない。しかし考えてみれば、取り入れてきたのは主として欧米の新しい技術でありその基本となっている欧米的考え方のようなものは私たち日本人の考え方に取り入れられるには至っていないのではないだろうか。

それこそがグローバル化の必要性がやかましく言われる本当の理由なのかもしれない。そのことはまた文化の根底をなす基本的な思想というものはなかなか変わるものではなく、私たち日本人も長い歴史の中で培ってきた「日本人的考え方」を持っており、これは実はそれほど変化していないとも言えるのかもしれない。

しかしその意味で言えば、携帯文化に代表されるようなアジア的行動様式を欧米人が取るようになってきたというのは極めて大きな変化ではあるまいか。

(続く)