シンガポール通信-2020東京五輪エンブレム盗作問題再熱!

2020年の東京五輪のエンブレムが盗作であるかないかが大きなニュースになった。一時沈静化していたが、再び問題が浮上している。その過程で、日本において典型的な問題である議論における論理の不在、そしてその結果として論理を展開している側が墓穴を掘るという事態がまた見られたので、それを議論してみよう。

この問題の発端は、2020年東京五輪エンブレムとして採用された佐野研二郎氏のデザインがベルギーの劇場のロゴマークに似ているとして、ベルギーの劇場のロゴマークをデザインしたオリビエ・ドビ氏から盗作であると指摘されている件である。

これに関して私の意見は、「ネットワーク時代には世界中の情報が入って来る。本人が意識的に盗作したと思っていなくても、無意識に似たデザインを見た事が自分のデザインに影響することはありうる。したがって本人が意識的に盗作したか否かを証明する事は困難である。結果としてのデザインが似ているか否かで判断する必要がある。そのためにはデザインの類似性を判断するソフトの開発が必要である」というものである。

しかしどうも世の中は、それが意識的な盗作かどうかを問題にするものらしい。そして当事者はそれを大変気にするものらしい。その結果としてこの問題は、別の方向へと再び議論がわき起こりつつあるようである。

佐野氏がデザインしたエンブレムの選定を行った大会組織委員会が、8月28日に記者会見を開き盗作であるという事を否定する発表を行った。その論理展開が、日本ではしばしば見られる全く論理がないというか論理の飛躍があるというか、典型的な日本的論理展開であった事が私にとっては大変興味深かった。

その論理展開を見てみよう。大会組織委員会の言明をまとめると以下のようなものである。

(1) 佐野氏のデザインを東京五輪エンブレムとして選定した時点では、原案はベルギーの劇場のロゴマークとは全く似ていなかった。
(2) その後、原案が別のデザインに似ているという指摘があった。
(3) そのため、大会組織委員会は佐野氏にデザインの修正を求めた。(修正は2回行われた。)
(4) その結果として現在のデザインに決定した。
(5) したがって、佐野氏のデザインは盗作ではない。

(1)〜(4)の論理展開は良しとしよう。問題は(5)である。(4)から(5)へ論理の飛躍があり、そのため結果として論理全体が破綻している。もっとも(5)の言明が不明確である事も確かである。(5)で言及されている佐野氏のデザインというのが、当初採用された案なのか最終案なのかで論理展開が異なってくるからである。そのそれぞれに関して考えてみよう。

まず(5)における佐野氏のデザインというのが現在問題になっている最終案だとしよう。そうすると、この論理展開は全くのめちゃくちゃであることになる。(1)から(4)までの論理展開から、現在問題になっている最終案が盗作でないという結論がなぜでてくるのだろうか。第一、論理展開自体として何が言いたいのか全くわからないことになる。

それでは(5)におけるデザインが現在問題になっている最終案ではなくて当初案であるとしよう。そうすると、(5)は、「佐野氏の最終案は当初案に似ているとされたデザインの盗作ではない」という事が言いたい事になる。これならば、(1)〜(5)の論理自体は一応整合性がとれていることになる。しかし今度は別の問題が生じて来る。

現在問題になっているのは、東京五輪オリンピックのエンブレムの最終案が、ベルギーの劇場のロゴマークに似ているということなのである。当初案があるデザインに似ているか否かなどは誰も問題にしていない。ではなぜ大会組織委員会は、現時点で記者会見を開いてこのような言明をするのか。どうもここでもまた、日本において典型的な「責任逃れ」の態度が見えて来る。

明らかに、委員会は盗作と騒がれているデザインを選定した自分達に、責任論がおこってくるのを恐れているのではないだろうか。そのために「委員会が選んだ当初の案は現在問題になっているデザインとは全く似ていない。したがって当初案を選んだ委員会が盗作といわれている案を選んだ訳ではないから盗作問題に関して責任はない」ということを言いたいために、記者会見を開いて上記の論理展開に沿った言明を行ったのではないだろうか。これはいかにも日本的な責任逃れの方法ではないだろうか。

しかし、当初案に変更を加えた最終案を認めたのは委員会であるから、あくまでも最終案が盗作か(もしくは既存のデザインに良く似ているか)否かに関しては委員会も責任を免れないのではないか。もう一度現在の状況も含めて経緯を整理すると以下のようになる。

(2−1)当初案として最終案とは別の佐野氏のデザインを選定した。
(2−2)その後当初案が別のデザインと似ているという指摘があった。
(2−3)従って佐野氏にデザインの修正を依頼した。
(2−4)その結果現在の最終案で決定した。
(2−5)ところが、その最終案に対しても別のデザインと似ているという指摘があった。

(2−1)〜(2−3)の論理展開に基づけば、当然次の手は次のようになるべきであろう。

(2−6)従って再度佐野氏にデザインの修正を依頼する。

大会組織委員会は、この論理展開に基づいて佐野氏に再度のデザイン変更を依頼すべきであるというのが結論である。大会組織委員会による記者発表に参加した記者は、このような質問や要求をすべきであったのではないか。どうも記者達が手ぬるいという感がしてならない。