シンガポール通信-宮崎市定「中国史(上・下)」

宮崎市定氏(1901年〜1995年)は、戦後日本を代表する東洋史・中国史学者であると言われている。京都大学文学部を卒業、1944年に京都大学文学部教授に就任し、その後京都学派を代表する研究者として、中国史に視点を当てつつ東洋史全般を研究対象とした。専門家を対象とした論文や著述ばかりでなく一般読者を対象とした著述も多く、一般人にもファンが多かったといわれている。

宮崎市定氏による「中国史」は、1983年に岩波全書の一つとして出版され、2015年5月に岩波文庫版として新装されて再出版された。この本も、一般読者を対象として中国の歴史をわかりやすく文庫本2冊にまとめたものである。

中国の文明は古く、世界四大文明の一つである黄河文明は紀元前6000年頃に生じている。中国の博物館に行くと、これをもって「中国8000年の歴史」という標語が誇らしげに掲げてあるのに出会うものである。もっとも最近ではこの黄河文明の前に長江に沿って栄えた長江文明があった事が知られている。いずれにしてもこれらは発掘される遺跡・遺物によって知る事ができる歴史であり、記述が残っている訳ではない。

記述に残っている最古の王朝は夏王朝であり、これは紀元前2000年頃に成立したと残された記述には書かれている。これを信じるならば、中国の記述に残った歴史の長さは「中国4000年の歴史」ということになる。もっとも現在では、この夏王朝は神話的存在であって実際に夏王朝の王として名前が残っている人たちの存在は疑問であると考えられている。夏王朝の次に紀元前1600年頃殷王朝が成立したとされているが、実際の王の名前はともかくもこの頃になると、ある程度の領土を持った国家が成立していたのは確からしい。

夏王朝の次には、紀元前12世紀頃に周王朝が成立する。そして紀元前8世紀頃に周王朝の力が衰えると共に、分裂時代に入りいわゆる春秋時代・戦国時代へと突入する。この時代は孔子に代表される多くの思想家が並立するいわゆる「諸子百家」の時代でもある。いずれにせよここまでの歴史は、中国の各地に小さな都市国家が数多く成立し、それらが相争ううちに徐々に少数の都市国家にまとまっていった歴史であると理解する事ができる。

そしてそれらの都市国家全体を統一して最初の中国全体の統一王朝を成立させたのが、紀元前221年に成立した秦である。秦王朝による支配は始皇帝一代しか続かず、次に中国全体を支配したのは漢王朝である。漢王朝前漢後漢合わせると約400年の間中国を支配し、いわゆる古代帝国時代を形成する。そして漢王朝が滅びると、中国は分裂時代に突入する。いわゆる「三国志」で有名な時代である。この古代帝国である漢が滅びるまでを、著書である宮崎氏は「古代」と称している。

宮崎氏の「中国史」は、まず最初に中国の歴史を「古代」「中世」「近世」「最近世」に分類した上で、それぞれの説明を加えてある。それによると古代とは、先に述べたように中国の各地に多くの都市国家が生まれ、それらの間の勢力争いにより徐々に都市国家が少数の都市国家にまとまり、最後にそれらの中の一つが他の都市国家を併呑することにより秦や漢のような古代帝国にまとまった時代であるという。

この部分を読むと、私たちはヨーロッパにおけるギリシャやローマの歴史を思い出す。ギリシャにおいては当初アテネ、スパルタ、テーベなどの都市国家が並立していたが最後にはアテネギリシャ全体を支配する都市国家となった。さらにローマの場合は当初はイタリアに群立していた都市国家をローマが統一して行き、イタリアのみならず地中海世界全体を支配する巨大なローマ帝国となったのは良く知られているところである。

このことは東洋とヨーロッパで歴史の進み方に似たものがあることを示している。事実東洋における漢が滅び古代が終結したのが2世紀末であるのに対し、ヨーロッパでは古代が終わり中世に代わるのは5世紀の西ローマ帝国の滅亡であるとされている。両者の間に数百年の違いはあるとはいえ、古代が終わり中世に入るのがほぼ同じ時期である事に注目する必要がある。

このように宮崎氏の「中国史」におけるもう一つの特徴は、単に中国の歴史を概観するだけではなくて、それをヨーロッパのさらには西アジアの歴史と対比する事によって、世界レベルでの歴史の流れを読者に理解させようとしている事にある。

中国では漢が滅び、ヨーロッパでは西ローマ帝国が滅び、それぞれが分裂時代に入った時をもって古代が終焉し中世が始まったという宮崎氏の「中国史」は、読者に世界史的視点を与えてくれるという意味で大変読んでいて楽しい。しかしそれと対比してある西アジアの歴史に関する説明が少ないため、ヨーロッパ・中国における古代から中世への移行が西アジアでは殿時代に相当するのかがわかりにくい。この部分に関する詳しい説明がほしかったところである。

(続く)