シンガポール通信−金子常規「兵器と戦術の日本史」4

倭国新羅との朝鮮半島支配をかけた戦いと白村江での敗戦による倭国の朝鮮からの撤退、そして豊臣秀吉朝鮮出兵と撤退という二つの歴史的な事実は幾つかの共通点を持っている。一つはいずれの戦いも陸軍による戦いでは日本側が有利もしくは対等の戦いを続けたのに対して、結局は水軍の劣勢により海戦で破れたことが結局は最終的な敗戦に繋がったことである。

これは朝鮮側の水軍、具体的には白村江の戦いの場合は唐・新羅の連合軍、そして豊臣秀吉朝鮮出兵の場合は明・朝鮮連合軍が大型軍船中心の水軍であったのに対し、日本側は機動力を優先した小型の軍船が中心であったことだと本書の著者は断じている。すなわち弓や大砲による空中戦を主体とした敵の戦術に対して、日本側が接舷による乗り込みと白兵戦を中心とした戦術をとっており、結局空中戦で敗れ接舷・白兵戦に至らなかったことによる。すなわち戦略・戦術上で日本は敗れたこと、さらには豊臣秀吉白村江の戦いから何も学んでいなかったことを著者は指摘している。

何やら太平洋戦争で結局は制空権・制海権を失って破れた日本軍に通じる話ではないか。日本軍は大和・武蔵という巨大戦艦を有し、その巨砲が相手を破る武器になると信じていたのである。これはある意味、大型軍船を有していた唐・新羅連合軍、明・朝鮮連合軍の戦略を引き継いだものであり、白村江での戦いや豊臣秀吉朝鮮出兵の際の過ちに気がついて正したという言い方も出来る。しかしながら既に巨大戦艦の巨砲が戦いを決める時代は終っており、航空機というそれを超えた飛び道具が戦いを決する時代になっていたのである。

つまり太平洋戦争においては、朝鮮出兵の時代に明・朝鮮連合軍が用いた大砲が航空機にあたり、当時の秀吉軍側が用いていた鉄砲が日本軍の大和や武蔵の巨砲に相当するのである。このようなことを理解できなかったという意味で、日本の軍部の頭が時代遅れになっていたということができるだろう。

そしてもう一つが、既に何度か指摘したことであるが日本が朝鮮を経て中国大陸への進出の意図をずっと保持していたということである。そしてそれは鎖国時代も日本の知識層の間に保持され、明治時代になって「征韓論」として蘇ったのではあるまいか。

これは決して、日本による1910年から1945年に至る韓国統治を正当化しようとするものではない。そうではなくて、日本という国が他の世界の大半の国々と同様に、対外的に勢力を拡大しようとする意思をずっと持って来たということを言いたいのである。いいかえれば、他の国家と同様に日本が普通の国であり、日本人が他の国々の人達と同じ人間だと言うことである。

人類は誕生から以降、種の保存と勢力拡張という基本的な本能の基に行動して来た。そしてその結果として、5万年前頃にアフリカを出発したほんの百数十人のごく小さいグループが全世界に広がっていき、現在の地球上に生存している人類になっているのである。現在の私たちも、そのような種の保存と拡大という基本的な本能に動かされた行動をしている。その意味では世界中に散らばった人類の基本的な行動様式は似ているといっていいであろう。(実は現在の人々のスマホべったりの行動もこの種の保存・拡大の本能に基づくと解釈できる。これは別の機会に議論したい。)

そのことは、世界中のほとんどの人類が作り出した集団・国家が、常に隣接する集団・国家と勢力争いを繰り広げて来たのが世界の歴史であるということでもある。そしてそれは現在も続いている。国連という世界レベルでの政治の調整機構があるとはいえ、例えばソ連邦の崩壊によって生じたロシアは常に旧ソ連邦時代の勢力範囲を取り戻そうとしており、それが最近のウクライナ紛争に繋がっている。さらにはごく最近の例として、スコットランドが英国から独立しようとして国民投票に問うた件がある。このように世界は現在もダイナミックに動いているのであり、日本人や日本という国家もその動きに巻き込まれて動いているといえよう。

しかし私たちはそのように学んで来なかったのではあるまいか。確かに白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵というのは歴史で学んだけれども、上に述べたような歴史観の基で学んだのではなく、日本の歴史の中で例外的な事柄として学んだのではあるまいか。

そして繰り返しになるけれども、私たちが日本の歴史に対して持っている歴史観というのは、日本人は日本列島という閉じた世界の中で古来から暮らして来ており、対外的な関わりはあまり持たなかったというものではないだろうか。戦国時代などの動乱は日本列島という閉じた空間の中の支配者の入れ替わりに伴う動乱であり、それらを除くと日本列島はその内部で完結した国家であり、基本的には食料も文化も産業もその中で閉じて暮らして来たというイメージである。

それが現在の「日本ガラパゴス論」とかに繋がるのだろう。だいたいガラパゴスなどという考え方は、他の国家と関わって行かざるを得ない世界の他の国々にはない、日本だけの特殊な考え方ではあるまいか。

それではこのような基本的な歴史観・国家観を私たちはなぜ持つようになったのだろうか。一つはそれは戦後の教育によるものであろう。太平洋戦争で他の国々に大きな迷惑をかけた日本人を日本列島の中でおとなしく生活させて行くために、米国を中心とした戦勝国によって取り入れられた教育制度が大きな影響を与えたのではあるまいか。そしてもう一つはこのブログでも何度か取り上げたが、江戸時代に取られた「鎖国」という政策であろう。似た政策として明・清時代の中国における「海禁政策」があるが、いずれもアジア以外では生まれなかった政策である。既に多くの研究が行われているとは思うが、このような政策がなぜ生まれたかというのは調べてみる必要が大であろう。