シンガポール通信ーボーイング787の運行再開に思う

バッテリーの加熱・損傷問題で飛行を中止していたボーイング787の運行再開を米連邦航空局が許可した事を受けて、各航空会社が運行を順次開始するということがニュースになっている。これに関しては釈然としない人が多いのではないだろうか。

問題は根本原因がまだ分からない事である。根本的な原因は分からないがバッテリーの加熱が起こったとしてもそれに対処する手段を講じているから大丈夫との論理だけれども、これは果たして論理と言えるのだろうか。

報告によると、787に用いられているリチウムイオンバッテリーは7つのセルからなっており、そのうちの1つのセルが回線ショートと異常加熱を起こし、それが他のセルに熱が広がり結果としてバッテリー全体が加熱・炭化してしまったという事である。それに対してボーイング社は、各セル間の分離を徹底するなどして、たとえ1つのセルが熱暴走してもバッテリー全体が破損する事はないような改良を加えたことにより、事故に至る事はないように手当てしたから大丈夫と説明している。

一見、論理的には正しいようであるが、なぜそれを聞いている私たちは釈然としないのだろう。それはボーイング社も認めているように「根本原因はまだ判明していない」ことにある。ボーイング社としては、原因ははっきりしていないけれども考えられる対策は講じたから大丈夫という事を言いたいのであろう。しかしである、原因が判明していないということは、厳密にいうと何が起こるか分からないという事ではないか。

何が起こるか分からないという事は、その原因によってもしかしたらバッテリー以外の損傷が起こる可能性があるということである。そうすると現在はバッテリーの損傷に対する対処だけを考えているが、その対応策が根本から崩れてしまう可能性がある事を示唆している。それが私たちがボーイング社の説明に対して漠然とした不安を感じる理由であろう。

この不安を取り除くには、ボーイング社は「残念ながらバッテリーの熱暴走がどのような原因で起こるか分からないけれども、問題がバッテリーの熱暴走に限定されている事は証明されており、それ以外の問題は起こらない。そしてバッテリーの熱暴走はたとえ起こったとしてもそれに対する万全の対策は講じてある。したがって事故に至る事はない。」と説明すべきなのである。

このように説明されれば一応私たちとしては納得するのではないだろうか。なぜそのような言い方をしないのだろう。そのような説明が無いため、運行再開されたボーイング787に乗る人は、なにかがおこるのではというある種の不安を抱えるであろう。そのような不安を払拭するために、ボーイング787を持っている各航空会社とも口をそろえて、ボーイング社の対策で問題ないと説明しているのである。それにしてもこの判断に対して正面からの反対意見が出ていないのはなぜだろう。

実はこの種の「問題の本当の原因ははっきりしないが、故障が起こる可能性は極めて低いので実際上問題ない」という論理は、実は私たちの社会ではよく使われている論理である。これは結局は、リスク零という事はあり得なくて社会は常にリスクと利益のバランスの上に成り立っているということを、私たち自身も認めている事を示している。

とすると私たちは、中国の新幹線の事故の際に運行再開を最優先し事故車両を現場に埋めるという中国当局の措置にあきれ笑ったけれども、私たち自身も同じような論理の基に行動していることを示していないだろうか。