シンガポール通信ー村上春樹「海辺のカフカ」:主人公田村カフカ2

ソポクレスのギリシャ悲劇「オイディプス王」の主人公オイディプスは、誤って殺してしまった相手がテーバイの王ライオスであり、その跡を継いで自分が王位に就いた結果娶ったのは自分の母親である事をあるきっかけで知る。そして父親殺しと母親との近親相姦という罪を犯した事を恥じ、自分の両目をつぶして盲となり、放浪の旅に出る。ある意味で救いようのない悲劇的な結末である。

しかしながら「海辺のカフカ」の主人公田村カフカの場合は、そのような悲劇的なストーリー展開にはならない。むしろハッピーエンドを迎えると言っていいだろう。彼は無意識のうちに父親を殺しかつ母親と姉と交わった後、自分が働いている図書館での自分の上司である大島さんの別荘の裏山のうっそうとした森の中で、別の世界への入り口を見つけその世界へと入って行く。

無意識とはいえ父親を殺し、これもはっきりとそうだと断定できるわけではないが母親・姉と思われる女性達との近親相姦をしたにもかかわらず、主人公が直接は罪の意識を感じていないというのはギリシャ悲劇などに比較するといかにも現代的である。この辺りのクールな感覚が村上春樹若い人たちや海外でも受ける理由かもしれない。とは言いながら無意識には罪の意識を感じているのであろう。あるいは死を意識しているのかもしれない。それが田村カフカが別の世界へ入って行く理由であろう。
この部分は、日本神話やギリシャ神話にある「冥府下り」を下敷きにしているのであろう。「冥府下り」の神話はそれ以外の多くの国々にもあるらしい。やはり人間の根源的なものと結びついているのだろう。日本神話の場合は、イザナギが死んでしまった妻イザナミを探して黄泉国と呼ばれる冥府に行きイザナミを連れ帰ろうとするが、ウジのわいた死体になっているイザナミを見て恐ろしくなり、追いかけるイザナミを振り切って元の世界に戻ってくるという物語である。

またギリシャ神話では、オルペルスが毒蛇にかまれて死んでしまった妻エウリュディケーを探して冥府に行き、冥府の王ハーデースに頼んで妻を連れ帰る許しを得る。ところが冥府から抜け出すまでの間振り返ってはならないという条件にも関わらず、もう少しで冥府を抜け出せるという時に我慢が出来ず、ついて来ているはずのエウリュディケーを振り返ったため、妻を永遠に失う事となる。

田村カフカの場合は、父親を殺し母親や姉と交わった自分に対する無意識の罪の意識から、冥府へ通じていると思われる入り口を通って別の世界に入って行くのである。したがってここでは「オイディプス王」や「冥府下り」にあるような強い論理的な理由があるわけではない。冥府へ下って行く理由がギリシャ悲劇や日本神話の場合より弱い理由によるというのは、考えれば不思議とも言える。それでも村上春樹の文章力とでも言ったら良いだろうかに納得させられて、読者は特に不思議感・不満感は感じないのかもしれない。

冥府に降りて行った主人公田村カフカは、そこで(実は自分の母親である)佐伯さんに会う。そして元の世界に戻るように諭された主人公は再び元の世界に戻って行く。冥府には死者しかいないのではないだろうか。なぜ佐伯さんがそこにいるのだろうか。実はその時すでに佐伯さんは元の世界では死んでいるのであり、冥府にいるのは不思議ではないのであるが、主人公はまだそれは知らない。したがって、冥府に佐伯さんがいるのを見つけた時に不思議に感じるはずであるが、主人公はそうは思わない。

もちろん無意識には、自分の母親である佐伯さんがすでに死んでいる事を予感しているのかもしれない。それは、元の世界に戻って行った主人公が、佐伯さんの死を知らされても驚きの感情を持たない事からもわかる。しかし少なくともこの小説を読んでいる読者は、主人公が冥府で佐伯さんに会う事に不思議感を感じないのだろうか。しかしこれは後から浮かんだ感想であって、確かに読んでいる間は私自身もそのような疑問を感じる事はなかった。これはどうしてだろう。

これは一つには作者の村上春樹が、田村カフカが入って行った世界を冥府の世界であると記述していないからだろう。主人公が森の中をさまよっていて見つけた不思議な世界への入り口。しかもそこでは、かって日本軍の演習行軍中に消えてしまった二人の兵隊が門番として守っている。この二人がいる事の必然性は全くなくて、本当は単に入り口の標識があれば良いのである。

しかしながら、この世からこつ然と消えてしまった人間(そしてそれは何らかの理由で別の世界へ行ってしまった人間と考えられる)が別の世界への入り口に立っているというのは、論理を通り越して、感情に訴えるという意味で説得力があるではないか。なるほどこれがストーリーテリングの力である。

そして元の世界に戻った主人公は、図書館の大島さんから佐伯さんが死んでしまった事を知る。それは佐伯さんのいた図書館と自分の接点が切れた事を意味している。そして主人公田村カフカは図書館の管理をしている大島さんに別れを告げ、さらには自分の姉にも別れを告げて東京へと戻って行く。

主人公田村カフカに焦点を当ててストーリーを追うと、このような展開になる。自分の父親を殺し母親や姉と交わった主人公が、それらの絆から自分を解き放つ事により、子供から青年へと成長して行くという物語なのである。このようにまとめてしまうと、違和感を感じる読者も多いだろう。ところがストーリーを追って行く分には別に違和感は感じず、かえって作者のストーリーテリングの力に身を任せながら読み進んで行く快感を感じるのである。不思議な小説であるということができるだろう。