シンガポール通信ー今後の日本と中国との関係

私の友人がそのまた友人から最近以下のようなメールをもらったと知らせてくれた。(ちなみにその友人の友人は現在中国に住んでいる。)

「日本は危ういというよりもう終わっているのではないか。『大国の興亡』では、一つの国が勃興して敗れ衰退していった場合、再び蘇るのは歴史的に見て殆ど不可能だと指摘してある。ギリシャ、ローマ、スペイン、英国、ナチス、 日本がそれにあたる。人類の歴史の中で中国はこれに当てはまらないかもしれない国であり、それが今後アメリカと共に2大覇者として世界の共同経営者になるかと いうのが現在そして今後の状況ではないか。」

興味深い意見なので、このブログでとりあげて私のコメントを述べておこう。

世界をリードするのは「経済的」「文化的」「軍事的」などの観点があるが、ここで書かれている意見は「経済的」観点に視点をおいての事であり、その範囲ではその通りかと思う。

日本はバブルの頃「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれていたものであるが、その時代は終わりもう再び来ないというのは確実であろう。しかしながらそれで日本がすべてが終わってしまっているという訳ではないのではないか。

例えばヨーロッパは終わっているかというと、そうではない。たしかにオランダ・スペイン・ポルトガル・英国などの国々が交互に世界の覇者となっていた時代は終わった。現在ヨーロッパは世界の経済の中心ではない。しかしながら文化的には、現在でもヨーロッパは世界の文化の中心にあるといえるだろう。

日本がこれから歩む道としては、ヨーロッパと同じ方向をめざすべきではないだろうか。つまり、中国文化を受け入れそれをさらに発展させ維持して来た歴史をベースとして、アジアの文化の中心してあり続けるというのが、日本の今後の歩み方かと思う。

米国に関して言うと、米国が経済的にも軍事的にも世界の覇者であったピークはベトナム戦争の頃で、それ以降は長い衰退期に入っていると私は思っている。また文化に関して言うと、その大半はヨーロッパの文化を引き継いだものであり、米国独自の文化といえばハリウッドぐらいである。その意味で米国は文化を生み出してこなかったし、今後も文化の中心はヨーロッパであろう。

私が一番興味があるのは、はたして中国が経済的以外にも世界の覇者になれるかどうかということである。また中国は一人っ子政策をとってきたため、意外に早く高齢化が進む可能性がある。その場合は中国の覇権も長く続かない可能性があるのではないか。21世紀が混迷の時代になるといわれているのは、どの国が世界をリードして行く国になるかが不透明だからではないだろうか。

これからは先進国が高齢化社会の問題に直面するので、高齢化社会の問題点を解決できれば、日本が再び脚光を浴びる事も不可能ではない。例えば、高齢者が元気で文化や新しい産業を生み出す力になるというビジネスモデルを日本が作り出すとか。ただし日本の現在の元気のなさでは難しいのかもしれない。

再度中国に関して言うと、中国が近い将来に特に経済面にいて世界のNo. 1になるのは(それがいつまで続くかは別にして)まあ誰も認めざるを得ない事だろう。問題はその時の日本の対応策、特に米国に対するのと中国に対するのでどう対応策を変えるかではないだろうか。これに関しては、多くの日本人が少し心配しすぎたり恐れすぎたりしているような気がする。

どうもこれは、戦後長い時間をかけて米国人の考え方・行動にどう合わすべきかに努力を注いで来て、やっとなんとかうまくできるようになったのに、またまた異なる原理で動いている国である中国に合わせなければならないのかという歎声のようなものではないだろうか。

中国の中華思想アメリカの米国覇権主義と似たりよったりなので、まあそれほど心配するにはあたらない。中国が力を持っているのは確かでありそれを認めてつきあって行けば良いのではないか。

一方で、米国の民主主義(自由)に対する中国の中央集権(統制)はかなりおもむきが違うので、これにどう対応するかは大きな問題と思われる。しかしよく考えてみれば、日本の政治や社会の仕組みは本来中国のそれに似ている訳で、米国人より中国人の方がつきあいやすいのではという気もする。

大体戦後の日本は、国の政治や社会の基本的な仕組みは、従来の古い物を残しながら、米国の民主主義の都合のいいところ(自由になんでも言えるというところ)だけを取り入れて来ているという、いわばご都合主義になっていると思われる。

基本的には、日本は長い歴史の中で中国文化を取り入れ、それをさらに洗練して来た経緯がある。中国人と日本人の相互理解はそれほど困難ではない。ただ、中国が過去の歴史をベースとして日本の文化を理解しそれをレスペクとしてくれるかどうかが問題なのではないか。

中国が、日本文化を中国文化のまがいものだと考えたりすると、大変危険な事になる。そうならないためにも、中国人と接する機会の多い日本の政治家には、高い知性と教養が必要なのではないだろうか。