シンガポール通信ー旧正月

ところで、日本でもかっては旧正月を祝う習慣があったのをおぼえておられる方はいるだろうか。

私の小学校の頃(と言うと、もう半世紀前になるが)は、まだ旧正月を祝うというのは日本では通常の風習であった。もちろん正月は現在以上に盛大に祝っていた。三が日はもとより7日過ぎまでは正月気分で、学校が始まっても当分は正月気分が抜けなかった。

そして1月14日になると、「左義長」もちくは「どんど焼き」と言われる行事があった。これは、正月の際のお祝いに使ったしめ飾りや門松などを焼く行事であり、これでやっと正式に正月の祝いが終わるのである。かすかにしか記憶に残っていないが、しめ飾りなどを集めて町内会で燃やした記憶がある。

さて、そうこうしていると2月の旧正月である。この時もどのような行事をしたのかは記憶にあまり残っていないが、私のいた地方の小学校では少なくとも1、2日学校が休校になった事だけはおぼえている。

このブログでも既に書いたが、同時にクリスマスも立派に日本の年次行事の1つとして組み込まれており、家族でクリスマスケーキを買って祝ったり、子供はクリスマスプレゼントに胸を躍らせたものである。

ということは、かっては12月の半ばから、2月半ばまではクリスマス、正月、左義長旧正月と祝い事の連続で、ずっと休み気分であったのではあるまいか。1月は行ぬ、2月は逃げる、3月は去るなどといわれて、子供にとっては3学期はまあ、あってないようなものだったといえるのではないか。

旧暦の行事と言えば、旧正月以外にも七夕がある。現在七夕は7月7日になっているが、かっては旧正月の七夕を8月に祝うのが通常であった。7月7日はまだ梅雨も終わっていない事が多く、晴れ間も少ないのではあるまいか。旧正月の七夕の方が私たちの感覚に合っていたともいえる。

他にも、かってまだ農業が日本の重要な基盤産業であった頃は、学校でも田植えの頃は田植え休暇というのがあり、刈り入れの頃は刈り入れ休暇というのがあった。田植えや刈り入れは日本を支える重要な行事と考えられており、子供達が田植えや刈り入れに参加する事が当然とされていたのである。

これらの行事が廃れて行くと共に、日本の文化の一部が失われて行っている。正月の行事に限っても、「羽根つき」「コマ回し」「凧あげ」「獅子舞」等をもう見かける事はほとんどなくなった。しめ飾りを飾る習慣はまだ残っているようであるが、10年ほどまえまで車にしめ飾りを付ける習慣があったのが現在はすっかり廃れてしまっている事を考えると、いつまで残るか心もとないものがある。

言い換えれば、かっての日本は貧しいが精神的には余裕のある豊かな暮らしをしていたのである。旧暦による歴史を持った種々の行事の多くがここ半世紀で失われていっている。かたや中国、東南アジアでは旧暦による行事が現在も引き継がれて盛んに祝われている。

しかしこれをもって、日本人の精神性が急速に失われているというのは、性急すぎるかもしれない。日本人の持つ感性はコミックやアニメに生かされ、シンガポールでも日本のコミックやアニメは大人気である。また最近の映画アバターを見ても日本のアニメが海外のアニメに影響を与えている事は明らかである。

とするならば、日本人の感性とこれらの失われつつある日本独自の行事さらには文化との関連はどうなのかを考えてみる必要がある。もしそこに強いつながりがあるのなら、日本独自の文化が失われていくと、ある時間遅れをもって日本人独自の感性も退化して行くことになる。

私自身としては、日本人独自の感性はもっと深いところで日本文化とつながっていると信じたいのだが、果たしてそれはなんだろうか。これは今後考えて行きたい問題である。



googleで検索したらまだ左義長を実施している地方は多いようで一安心である。これは横浜の左義長
http://selfpit.way-nifty.com/selfpit/2009/01/--bae6.htmlの写真を使わせてもらいました。)