シンガポール通信ージパング2

そうすると、ジパングは「パラレルワールドもの」であるということになる。つまり、「みらい」がタイムスリップした時点で、第2次世界大戦中(実際にはストーリーの範囲は太平洋戦争に限定されている)の日本は現在の日本とのつながりはないことになり、独立に存在する平行世界、パレレルワールドになるのである。

しかも「みらい」は、現在からこのパラレルワールドへの一方向のタイプトラベルなので、現在の日本との関係は全くない事になる。この時点で、「ジパング」は従来のSFからは離れて純粋にストーリーを楽しむコミックになる。

そうすると、必然的に読者の興味は、SFとしてのストーリー設定より、「みらい」がタイムスリップした太平洋戦争中の日本がどのような歴史をたどり、現在の日本とどのように異なる社会を構成して行くかというストーリー展開そのものに注がれる事になる。

そうするとストーリー展開としては、パラドックスを気にしなくても済む分自由度は増すものの、別の意味で大変難しくなる。それは、実際の歴史とは異なる歴史を歩む日本に、読者の批判に耐えるだけのリアリティを与える必要が出てくるからである。

いかに実際の歴史とは異なるストーリーにリアリティを与えるかと言う課題をうまくこなしているSFは意外に少ない。私の知っている範囲では、第2次世界大戦の結果日本が勝利したという仮定のもとに、それ以降の米国を描いたフィリップ・ディックの「高い城の男」が最も良く出来ていると思う。

さてジパングは、「みらい」のタイムスリップにより歴史の変わった世界にリアリティを与えるという課題をうまく解決しているだろうか。残念ながらこの課題の解決には成功していないというのが私の意見である。ジパングが後半になって、前半のストーリーが持っていた緊張感・面白さが欠けているのはそのせいではないだろうか。

ジパングでは、「みらい」のタイムスリップにより歴史に変化が起こり、太平洋戦争は日本の敗戦ではなく、日本と米国が講和を結ぶ事により終結するというストーリーになっている。ストーリーに緊張感とリアリティを与えるためには、「みらい」が太平洋戦争の中に出現する事により、その結果つまり講和に決定的な役割を果たすことが必要である。

ところが、「みらい」の出現だけでは太平洋戦争の帰趨に決定的な影響を与えるのは難しい事に作者は途中で気づいたのではあるまいか。(「みらい」は最新の技術を持っているとはいえ、しょせん1隻では出来る事は限られている。)

そのため、途中から原爆を日本が米国に先行して開発に成功し、それが海底深くで爆発する事が、米国に日本の技術の先進性に対するショックを与え、講和に至というストーリーになっている。そのため、前半は主役であった「みらい」の主役としての輝きが、後半はかげって来るのである。どうもそのことが、ストーリーにリアリティを与えるのに成功していない大きな理由ではあるまいか。

もう1つは戦後日本の社会が十分描かれていないという事である。講和に至ったという事は軍部はそのまま残り、また日本の工業も破壊を免れた分戦前の古いレベルのまま残っているという事である。とすると、敗戦後ゼロから再スタートする事により、急速に米国の技術の導入に成功した現在日本とはかなり異なる歴史をジパングの中の日本は歩む事になる。

しかしそれが、最後の1、2話の中に凝縮されてしまっているので、読者にリアリティを与えない、もしくは満足感を与えないで中途半端な終わり方をしている感覚を与えているのではあるまいか。

さらに問題はパラドックスの取り扱いである。ジパングパラレルワールドものであるから、本来タイムトラベルのパラドックスには縛られる必要はない。現在日本からタイムスリップした「みらい」が存在する世界では、「みらい」の乗組員に対応する人たちがそのうち生まれ育ってくる、つまり同じ人間が二人同じ世界に存在する事になる。これは過去と現在がつながっている場合には深刻な問題を引き起こすが、パラレルワールドと考えれば矛盾はない事になる。

ところが作者は、ストーリーの終結直前で「みらい」を沈没させ、乗組員を艦と運命を共にさせる事によりこのパラドックス生じるのを防ぐという課題を律儀に解決しようとしている。この点にもかなりストーリー上の無理がある。終盤でストーリーが無理な展開になり、中途半端な終わり方をしていると感じられるのは、そのことによるのではあるまいか。

前半が、大変緊張感がありかつ面白いストーリー展開であっただけに少々残念である。



コミック版「ジパング



ハヤカワ文庫版 フィリップ・ディック「高い城の男」