シンガポール通信ー一期一会そして無常観2

バンコクからシンガポールに戻りその足で日本に向かうので、シンガポールチャンギ空港で日本行きの夜行便を待ちながら、今日既に3つ目のブログ記事を書いている。(日本では日付が変わっているが。)あまり書いてしまうと、すぐにネタ切れになってしまうのではという心配もあるが、まあなんとかなるだろう。

前回、小学校時代に無常観を知ったいわば「プチ悟り」の経験を書いたので、今回はその続きを。私の父親が転勤の多いサラリーマンだったこともあって、私と二人の弟は、両親と共に2、3年おきに転校を繰り返していた。ところが、私が中学校の3年になるときに、高校受験そしてその後の大学受験には転校の多い生活はあまり良くないのではという両親の配慮があって、私は兵庫県姫路市に近い、もっと詳しくいうとそこからバスで1時間ばかり山間部に入った町に住む祖父母のもとで暮らすことになった。

両親からその話を告げられた時は、特に深く考えることもなく了解したので、その話が進められることとなった。ところが私の方は、数日たつと猛烈な寂しさ・悲しさ、言い換えると寂寞間に襲われた。両親は心配してくれたが、祖父母の方は私が来るものと思い期待して待っているので、もう取り消すことは出来ない。ということで、結果として私はその後中学3年の1年間と高校の3年間の計4年間を、両親や弟達と別れて祖父母と共に暮らすこととなった。

その時感じた寂寞感は次のような理由によるものであろう。それまでは、両親や弟達と一緒に生活するというのが、つまり一家団欒を楽しむのがごくあたりまえのことであって、それが私の感覚にとってはごく普通のことであると理解されていた。いいかえると、実は私はそのような生活が永遠に続くという幻想の中で生きていたのである。

ところが、大学受験に備えて、両親や弟と別れて住むということは、その後大学に入学して過ごす大学生活、そして大学を卒業して就職した後の生活を考えると、再び両親や弟と一緒に住むことは一生ないということを意味している。これを理解したことは、いわばそれまで子供時代が永遠に続くと無意識に考えていた私にとっては、きわめて大きなショックであった。

それが猛烈な寂寞感に襲われた理由であるが、同時に「これが人生なのか」と何となく理解したこともおぼえている。後年、フランス語でまったく同じ意味の「セ・ラ・ヴィ」という言葉に出会ったが、まさにその時の私の気持ちにぴったりの言葉であろう。と同時に、永遠ということはないのであり、一瞬一瞬を大切に生きる必要があるという感覚を子供ながらに理解したのをおぼえている。

その後、大学時代や就職してからも、しばしば両親と弟のもとを訪れることはあったが、中学校までの両親と弟達と暮らしていたときの一家団欒の感覚が再び戻ってくることはなかった。その意味で、中学校2年に両親の元を離れた時、ある意味で私は子供時代を卒業していたのである。

と同時に、大学時代や就職してから両親や祖父母のもとを訪れるときに、玄関の戸を開ける時ある種のためらいを必ず感じたのをおぼえている。最初はそれが何によるのかはわからなかったが、後にこれもある種の無常観のようなものではないかと理解するようになった。

それは、戸を開けるということが、それまでの生活・経験がそこで1つの区切りをつけて、新しい生活・経験が始まるということを意味しているということである。いわば戸を開けるということは、その度に私が確実に人生の階段を上っていくこと(言い換えれば死に向かって進んでいうこと)を意味しており、それに対してこれまでの生活・経験をそのまま永遠に続けたいという人間としての単純な願望がそれに抵抗していたのである。

しかしこのような感覚は若い頃であるからこそ持つものなのだろう。最近はそのような感覚を持つことはなくなった。それが経験を積むということであろうが、一面で寂しい気がしない訳ではない。